Social Media、主に旧称 twitterに価値を全く見いだせなくなった背景です。
一つは、あ、ここは電通グループなどの広告代理店の狩り場なんだというのが、よく理解できたことです。
つまり、閲覧しているひとたちを扇動して、オールドメディアのニュースソースにするか、オールドメディアの有料配信サービスに誘導しようとして無策を重ねている人たちなのかな?という例えはできます。
また、旧称 twitterって電通が狩り場にしているだけのことはあって、電通的なメンタルの識者がよく更新をする場所なんです。
どのような識者かというと。一概には言えないんですが。「先生」と呼称されることに馴致していて、或いは、自らを馴致なさっておられて、広告代理店の文法で、旧称 twitterを利用する一定の層のことです。
例えば、おそらく電通が編み出したネットスラングになるんでしょうが。
「ネット右翼」とい筋道の通らないスラングがあるでしょ?

「ネット上だけで右翼の振りをして日常の憂さ晴らしをしたい」右翼なのか、「何だか知らないけど、この文法に則って発言するとネット右翼っぽいから、気分的に気取ってみたい」右翼なのか、「正直、ネット右翼の意味もよくわからないけれど、なんとなく流行っているみたいだから、ポーズだけ取りたい」右翼なのか?、「実は、広告代理店の下請けをやっていますという仕事人としての(?)」右翼なのか、「二項対立を利用して自分を誇示したいだけなんです、主義主張の背景なんてとくにないです、気分だけの」右翼なのか、もう「ネット右翼」というだけで、グラデーションが出来ていて。
右翼なのだろうか?と首をかしげる状態だからです。
右翼って日本では存在が出来ません。
日本の国の制度設計というのが直接遡れるのは江戸時代になります。江戸という年が東京にあったことはかなり画期的なことなんです。東京という年が持つ歴史を全部振り返ると鎌倉時代まで遡らないといけなくなるので、割愛しますね。江戸時代の東京って世界的に見ても、衛生状態のレベルは非常に高いんです。

だって、徳川家康が、国内の紛争の根源は国土の象徴である城にあるから、規模を縮小して建て替えなさいと指示を出して、建て替えをテキパキと行える下地があるんですよ。
「天下普請」という国家プロジェクトです。シンボルである城を縮小させて、きちんと幕府を維持する見せしめの城のための城をいくつかピックアウトして、国家プロジェクトを行うんです。実際にシンボルである城を小さく再建させて、徳川家の威信というのはこれほどまでのことをやってのけるという暴力を誇示して、中央集権制度を徹底させる効果的な手段なんです。
そこまでの技術力の下地がある当時の日本なので、江戸という都市では下水道の完備があるんですよ。17世紀~18世紀になると。欧州でそんな衛生管理も衛星完備もできていないのに。
実に安定した国土設計だったんですよ。京都のお公家さんもびっくりです。とにかく徳川家の安泰という中心軸を設けて、現代でいう同族企業の性質の徹底した制度設計の仕様を国の制度設計として用いたんです(想像しやすいでしょ?企業だと)。将軍の存在意義自体が次第に形骸化しても、会議で乗り切ってしまうんですね。江戸時代の徳川政権というのは。会議と合議で乗り切るんです。
私は網野先生の文献で読みましたが、中央政府で文書の書き方の制度が変わるとするでしょ?末端の村の単位に行きつくまでに3~4年で済むんですって。年貢という納税制度があるので、文書が必要なんです。文書が変わるってほんま?ってなって、嫌や、めんどいっという抗いがあっても、お上には勝てへんというのが、3年くらいで周知徹底されて、旧式の文書作成方法が終焉するんですって。

その安定した構造が延々と続くんだろうかという江戸時代の末期に、植民地化の波が日本に押し寄せるんですよ。
黒船です。
但し、植民地にしようと試みたのは、欧州の人たちではなく、アメリカ人だったのです。散々、欧州に植民地化されていた、あのアメリカ合衆国なんです。マシュー・ペリーさんはアメリカ合衆国のひとなんです。
そして、もっと残念なことに、日本の鎖国政策にはあちこちと隙間があって、江戸が日本の中心であるということとは別に、周縁の大名などが別の国と交易めいたことを行ったりできる采配の自由があるんですね。つまり、中央政府を通さなくても、知識と財産を得られるというおおらかさがあるわけですよ。
考えるとおおらかですよね。
隣国である中国はイングランドに植民地化されて、酷い目にあっているんですが。日本の場合は、合議制度や専門家の知識量という上澄みもあって、また、植民地化しようと身を乗り出しているのが、既に植民地化されてズタズタになったうえに、その状態を切り抜けて国としての制度設計をもってしまったアメリカ合衆国だったので、なんとか乗り切ってしまおうとするんです。
元々が藩という単位の小さな中央集権の集まりの上に中央集権国家を敷いているというメンドクサイ形をとってしまったがゆえに、植民地化されるかもしれないという危機感を、全く違う文脈に読み替えて(だって英語が出来る人が殆どいませんからね)、国内が荒れるんですよ。

アメリカ合衆国が植民地化しようっと試みた、当時の日本には、植民地化にかけてはハイエナのようなイングランドやフランスやオランダも続々と身を乗り出してくるんです。要するに不平等な関税をかける条約を作って国を植民地化しようとする、欧州の植民地政策の上策なんですが、日本には通用しなかったんです。
国内政治は荒れに、荒れ、それでも江戸の合議制は機能をしてイングランド以外の欧州やアメリカに関しては関税の不平等な条約を締結させたようにみせかけて、無効ですという内容になったんです。理由は、租税の歴史が7世紀ぐらいからあるので、欧州やアメリカ合衆国が、そこを押しきるには歴史の知恵と重みが強硬なんですよ。欧州やアメリカ合衆国の租税制度の歴史は、日本の租税の制度設計の累積に勝てないんですね。歴史の差です。
いろんな当時の植民地政策に長けた国が、日本に身を乗り出しているうちに、日本国内に山積していた鬱憤が一挙に放出される形で、交渉相手のはずだった江戸幕府が討幕してしまうんですね。欧州やアメリカ合衆国がこぞって植民地化しようと虎視眈々と狙っていた取引先相手がつぶれるんです。制度設計ごと。

日本は、欧州やアメリカ合衆国の植民地化政策なんて関係なく、国内の問題の紛糾やその当時の様々な鬱憤ごと、国としての制度設計を変えてしまうんです。
欧州が不平等条約などを切り札に、国土を拡大させる歴史は16世紀からあるんですが。
いろんなタイミングが重なって、強固な形で日本は国を開くことになるんですよ。各地域にいた強力な頭脳が、新たな中央集権国家のために東京に集まってしまうんですね。
徳川政権よりも強固な形の新しい政治としての政体が明治天皇のもとに出来上がってしまうんです。
なので、謀反人扱いになる西郷さんや、江戸幕府の残骸などが延々と粛清されていくことになります。明治天皇は、西郷さんに関しては制度設計のもとになる大日本帝国憲法制定時に、事実上の恩赦を与えたらっしゃいますし、江戸時代の残党、つまり、新しい国家体制を敷くために犠牲になった人々に対しては、責任をもって靖国神社で弔うことにしたんです。
右翼はここでねじれるんです。

ねじれる原因ですが。極めて短期間の間に、日本が欧州やアメリカ合衆国のように植民地化政策を取ろうとするまでの国づくりを成功させてしまうんですね。欧州やアメリカ合衆国に植民地化しようと虎視眈々と狙われていたはずなのに。
平和な江戸時代の間に、国内の動乱に明け暮れていた徳川政権以前の武道などは全く廃れず、身につけておくべきものとして残されたり、江戸時代の教育方法の一環として延々に残されたので、それが役に立ってしまうわけなんです。精神性が残された場合で、その使い勝手があった場合は、中央集権国家というのは利用を満遍なく行うんです。
最終的に、第2次世界大戦で、当時の世界をカオスに追いやるのは当時のドイツと当時の日本になります。
『エニグマ』は読了なさっていますか?アラン・チューニングの伝記です。勁草書房から刊行されていますが、私は映画化の話とこの本の上下巻が出ると知り、上下巻を買い、怒涛のように読んで、ものすごく楽しかったです。伝記であんなに夢中になる自分なんて予想がつきませんでしたよ。それくらいにユニークな伝記です。機会があったら読んでください。ドイツの戦力(頭脳戦ですが)がどれだけ卓越していて、そこに挑んでいくイングランド人の総力と悲哀が素晴らしい伝記ですよ。
あの伝記の内容のようにすさまじいドイツが、当時はナチスドイツですが(現在のドイツとは全く無縁の産物です)、あのナチスを崩壊する過程の一端が垣間見れるんですが。凄まじいですよ。ナチスドイツの徹頭徹尾の一貫性の恐ろしさは。
それと比肩するくらいに、それまで事態を等閑視していたアメリカ合衆国を第二次世界大戦の泥沼に引きずり込んで、太平洋戦争まで展開して、降伏して、軍事裁判に当時の日本はかけられたわけです。
世界の秩序を乱したので、世界的な軍事裁判ですよ。そして、日本の植民地化政策の煽りをくらって、国籍が日本になっていて、日本の軍人として戦うことを余儀なくされた、生まれた国は別なのにという皆さんももれなく、鎮魂の神社である靖国神社でまつられています。
ここで、日本の「右翼」と「左翼」はねじれを起こすわけです。

日本には天皇はずっと存在をしています。もう歴史は神話になってしまうくらい遡れません。国土を開くためには国史を編纂しないと国は開けないんだという8世紀ごろの東アジアの常識が現代に通用するわけないじゃないですか?
現代の中国のみなさんも意味を共有できませんよ。韓国も北朝鮮も無理です。
島国なので、歴史は延々と続くんです。場所は京都なので、江戸時代には酷い有様になった朝廷は京都にあったので、きちんと保存をされたのです。
東京で右翼や左翼という議論があったところで、どうなん?ですし。空位の地理的状況にある京都で議論があったところで歴史的な断絶は回避できませんっ。
その間隙を利用するのが「右翼」になります。

ぐっすりと眠っているプシュケーをみつけたキューピッド(エロス)も真っ青な杜撰さです。
天皇を担ぎ上げておけば大丈夫なんだーという姿勢では、宮内庁とは渡り合えません。宮内庁は象徴として別組織です。じゃあ、天皇がーと担ぎ上げておけばいいかというと、それは、靖国神社に祭られている2度にわたる国土設計の間に起こった謀反人や旧体制を守ろうと努力をした、新しい制度設計にとっては、全く合致しないメンタリティーの持ち主がまつられる靖国神社でまつられている人たちと同じメンタリティになります。
天皇は基本的には国父です。それは明治天皇の時代から変わりありません。国の制度設計に対して、天皇は「元首」という立場から、「象徴」という立場に変わっています。天皇家に関してありとあらゆる業務をこなすのは象徴である宮内庁です。
文脈が大きく変遷したんですね。戦前と戦後で。戦前のメンタリティを引きずって「令和」の時代を一貫して生きることはできません。私たちは戦争の経験がないからです。
右翼は、国賊と同じメンタリティなのでしょうか?通常は、右翼が左翼を侮蔑的に言及するときに用いる用語が「国賊」に値すると思います。
戦争の現実を知らないままに右翼でいるという倒錯性は、倒錯でしかありえません。
戦後、一生懸命外交に尽くされたのは、紛れもなく昭和天皇になります。
欧州で生卵をぶつけられたりなさったそうなんですよ。でも、悠然と対応なさったそうです。昭和天皇は戦争の最中でどんな思いをされたんでしょうね。太平洋戦争末期に、神様として最終的に当時の旧日本軍のトップの人たちに泣きつかれたそうですから。軍人としての教育なんて受けてらっしゃらないのに。泣きつかれたそうです。マッカーサー司令官との対談は機密事項で、マッカーサーの回顧録にしか昭和天皇の言葉はないのですが。あの有名な言葉です。「私は、戦争を遂行するにあたって日本国民が政治、軍事両面で行なったすべての決定と行動に対して、責任を負うべき唯一人の者です。あなたが代表する連合国の裁定に、私自身を委ねるためにここに来ました」。昭和天皇は、自分と引き換えに天皇家と国民を守ってほしいと訴えておいでになったのかもしれません。
その心は推察することしかできないんです。
だって、私たちは戦争経験がないからです。憲法が戦争を放棄しているからです。
当時の日本は経済的にもボロボロだったと思いますよ。経済的にもボロボロですから、当時の日本に住む人の心も疲弊しきっていたのかもしれませんよね。でも、想像しかできないんです。
同じ轍は踏まないようにと、憲法が戦争を放棄しなさいという決まりを厳然と設けているからです。
おかげで、来年で80年もの間、戦争に加担したことがまったくないという先進国でも稀有の国になります。おかげて、どの国からも治安がいい、ご飯が美味しい、観光名所がたくさんあると、観光客がたくさん来て、住んでいる日本人が、しんどいわーという気遣いを強いられるという不可思議な状況になっているくらいです。
先進国で日本ぐらい平和で治安がいい国はないですからね。
言い切れますよっ。
先進国で、うちのほうが治安がいいわーって云い切れる国の人はみんな嘘つきです。

戦争を放棄した来年で80年の歴史が、現在の日本をつくっているんですよ。
それで「右翼」って、議論が破綻をしているんです、前提が成立をしません。
「左翼」もそうです。左翼が極端になってしまったのが、独裁国家であるお隣の中国や、プーチンさんが酷いことをしているロシアになります。左翼の行きつく先は独裁国家なんですよ。
マルクスの夢は、夢のままです。マルクスの思想って制度設計できませんからね。イングランドに住んでイングランドの歴史を構造的に研究もせず、都合のいいところだけ張り合わせた張りぼてでしかないんですよ。マルクスの思想なんて。

マルクスが生きた時代の文脈では、”enclosure”は「コモン」の意味は持てません。ラテン語の”common”と英語の”common”は一部意味が引き継がれているだけで、同じ意味ではありません。
イングランドのありとあらゆる言語に関する辞典においても同様です。
語義が異なります。
「右翼」も「左翼」も言葉の語義まで改ざんしないと生き残れないのであれば、存在意義はないんです。二項対立という概念は、数学の概念ですらありませんからね。
イングランドの政治における保守党と労働党ぐらいに、日本の政治もなるべきなんです。
イングランドでは、保守党だから労働党だからという党の違いで、王室が邪険に扱われることはなく、保守党だから労働党だからという党の違いで、王室が過大評価されることもなく、人々の生活の中に王室はあるでしょ?
「右翼」も「左翼」も天皇家を利用しようとしているという、自らの貧相な風情は全く顧みないんです。
この二項対立は不必要なんですよ。
志向性として、こんなに薄い議論はあり得ません。だから、旧称 twitterに興味はないんです。
あんなところに巣くっている識者なんて、識者を装っているだけの偽善者ですよ。言い切れます。慶応義塾大学のストーク行為が終わらないのかなーって思っています。慶応義塾大学ってA.I.研究で電通グループとつるんでるんです。その他の分野でもつるんでるんです。個人情報保護法案ってものがあるんですよ。毎年改定になるんですが。だいじょうぶなのかなーって思っています。