そういうものってありますよね。地元は土足厳禁の土地柄なので、どこの土地に住もうがその基準を守っています。
理由ですか?関西人だからです。
関西にも沢山の基準があるんですが。関西にある、とある土地柄の基準で日々を過ごしています。
自分のなかの基準で日々を過ごしていると結構楽ですよ。

住んでいる土地のメンタリティに帰属していないので、知らないという時には鉄面皮で笑顔で通しています。
関西人の笑顔で隠し通す、なんなんやろ、このひとは?気遣いとか日常にないんやろうか?という感じは全く相手に通用しないんですが。
通用しない感じが、逆に他人と自分の区別というのを明快にするんです。
日々、え?意味わからへんわーということには出会うんですが。
そのたびに、無理やなって思えますし。
相手せんとこって判断になるので。
最終的に、自分の心を守ることに繋がっています。
わたしの場合は、関西のとある地域の基準になりますが。あなたが育った土地の基準に入れ替えて考えてもらってもいいんですよ。

わたしの地元でも面倒くさいことはもちろんありますが。それはめんどいやんか、っていうかもう勘違いになってないか?それって。なんか、気持ち悪いなってなるときはあるんです。そういうときの割り切りはきちんとした土地柄でもあるので。
あなたの地元の基準でいいんですよ。
あなたを育てたあなたの地元の基準でいいんです。
ちょっとなんか変やなって思う気持ちを、わざわざ曲げて、考え方を捻じ曲げる必要性はないんです。
大多数だって、ひとり、ひとりの集まりになるわけですから。
意味がわからないけど?ってなったときには、え?ってなっていいんですよ。
変に空気読まなくていいってことです。

過剰に空気を読んでる状況って、寒々しいでしょ?傍で見てると。
その立場に自分が置かれたいって思いますか?
私はそうは思わないので。
大変だなぁーで、そのままその場を離れて、離れられない場合は、心だけでも離れる方向性でいいんですよ。
いちいち付き合うほうが疲れますしね。
めんどいなーって思ったら、筋だけ通しておいたらいいんですよ。誰もお互いのことを24時間気にかけるとかありえないですから。