私の専門領域は広くはないですし、専門外の分野に関して専門ですという振りをするのは論外という躾けのもとに育ったので。
どんな専門領域でもいいと思うんですが。叩き上げという教育を受けておくと、そこで鍛えられた知性というのは、なにがあろうと、自分のことを裏切らないんですよ。
思考の手順だったり、資料の読み方だったり、テクストの読解だったり。

手続きについては徹底して教育を受けたので、応用が利くんですよ。
修業期間と呼んでもいい時期が長かったんですが、オリジナリティの貧困さで悩むことも多々ありましたし。
こういう切り口で考えようと思っても、すでに言い尽くされていることが多かったり。
大風呂敷を敷くことは禁忌なので。
むつかしかったです。大風呂敷なんて敷く勇気すらないですが。
自分の発想力の貧困さというのには何度も打ちのめされているので。
そこの限界値というのは認識できてますし。
思考の手続きというのは、他の視点を落としていく過程でもあるので。どんな視点を取り落としているのかという部分に関しても目配せが必要になりますし。
結構、頭を使うんですよ。

へこたれるとそこで終了ですし。
誰も助けてくれませんし。
自分で自分を支えるしかありません。
そういう日々が、いまの私を支えているんだなとは思っています。
淡々と頑張るしかない日々が、私を作ったんだなぁって。
勉強漬けでしたが。その日々があってよかったのかもしれないと思っています。
自分で自分を助けるという工夫は沢山してきましたから。そこはいきていますね。基本的には読書が私を助けています。分野は偏っているのかもしれませんが、本は読むだけ読みました。学校の図書館は使い倒しましたね。誤読が出来なかったというか、誤読するとこっぴどく叱られるので、その点もよかったと思っています。どんな言葉であれ、文脈を読み解こうとしますし、基本的には誤読はないです。理解できないと、理解できるまで頑張ろうとします。あまり投げ出したりはしないですね。だから、積読と無縁なんですよ。