出来ていますか?何かを想像するということについてです。
想像力って案外難しいですよね。取り扱いが。

理由は、自分という幅の限界があるからです。
想像力って無限ではなく、有限だと思っています。自分の発想力の限界をよく知っているからです。
だから、本を読むと云っても過言ではないんですよ。
わたしが必要な想像力というのは、持論にことよせるためのものではなく、どちらかという限界値を少しでも押し広げたいという希望に根差しています。
悩んだりすると、何度でも、ロラン・バルトの本に相談に行くんですよ。

わたしとロラン・バルトでは、まず、生きている時代が異なります。性別も違います。セクシャリティも違います。住んでいる国すら違います。
それでも相談にいくんですよ。
それはむかしから変わっていません。
メイプルソープの写真集の話題が講義で出て、途中で先生が怒りだしてしまい(多分、怒ってはないんですが、呆れてたんだと思います)、受講者3人なんですよ、信じられますか?結構、しんどいですって、ロラン・バルトを読みながら思ったことだってあります。
日本でメイプルソープの写真集が販売されるときに、隠されている写真があるなんて、知らないですよ。だって、しらないからですって、ロラン・バルトの本を読みながら、愚痴っていたぐらいです。
きれいな写真を撮るひとですよねって云ったら、そこまで怒られたんですよって。
お花をきれいに撮るひとですよねって云っただけなのに。

ひとは最初から知識を得ることはできないと思うんですが。先生からすると無知蒙昧な学生の相手をするのが面倒なんでしょうねって。
私は数ヶ月に1回は何かのボタンを押して、先生にお叱りを受けるんですよ。
ロラン・バルトの本なので、バルトが考察を展開していくんですね。綿密な考察になります。
その論考を読みながら、愚痴るんですよ。
冷静で、それでもあたたかみをもった論考に触れていくと、なんだか気持ちが落ち着いてくるんです。
バルトは想像力についても触れています。
判りやすく言い換えると(がんばります)、不意打ちのように撮影された写真があって、写真のほうが、写真に撮られた事象をカテゴライズしている文脈を、被写体になっている人や物が雄弁にしてしまい、文脈そのものをかき消してしまうこともあるそうなんです。

写真に写っている被写体の限界や臨界点を映し出してるときもあるそうです。
そういう視点にふれながら、私の想像力って足りないなって思います。
ここ3年くらい、バルトの本を振り返る余裕もなかったなーって思います。
元気になってきた証拠なんだって思っています。
世間のいろんなものが目的論みたいなものに満ちていると、案外、心が冷えますよね。そんな視点は二元論よりも粗忽ですよ。二元論って多種多様ですしね。アリストテレスとドイツの観念哲学だと全く違う表情をみせます。単なる対立構造にはならない破れ目があるんですよ。