霊長類ヒト科の話題です。基本的にアフリカで人類は誕生し、移動を繰り返して、遠い南米の末端の現在でいうアルゼンチン(国土は広いのです)の一番南の町まで移動していったというのが、通説になっています。
この種の情報できちんとした知識を得るときに訪問すべきは、国立科学博物館です。「人種」という紛らわしい言葉は、ヨハン・フリードリヒ・ブルーメンバッハという18世紀のドイツの科学者が頭蓋骨をもとに勝手に分類をしてしまったことが、直接の原因になっているようです。
きっと、ブルーメンバッハが現代のホモ・サピエンスの化石事情を知ったら、どうしよう、間違った仮説を論文にしてしまったと恥ずかしい思いをするのだと思います。
しょうがありません。ドイツで、ネアンデルタール谷の基本となるネアンデルタール人の標本は1856年に発見されたからです。
骨格形態では区別はできないのです。霊長類ヒト科では困難なのです。国立科学博物館から引用した図の右端にあるのは、沖縄で発見された港川人です。〇〇人って実は、かなりたくさんいるんです。
ロイター通信の「世界こぼれ話」では、実は結構重要なんじゃないの?というニュース報道がありました。アジアへ向かった現世人類とネアンデルタール人の間に交配があった可能性があるというニュースなのだとは思いますが。報道内容がおそらく先走りすぎていて事実は伝えてないような気がします。
それでも研究者は肌の色に縛られて、ネアンデルタール人を起点として、どうして肌の色が変わってしまうんだろう?という悩みをもつわけではないんですよ。
各地域にいる〇〇人が現世人類と交配している事実が確実なので、それがどのような科学の事実に基づいているのか、ゲノム分析にかけている最中なんです。
アフリカから出発したサル目ヒト科の私たちの祖先は、いろんな経路を辿って、世界中に散らばっていくのですが、各地域にいる(そして、この〇〇人もまたどこからやってきたのか、まだわかっていません)サル目ヒト科の別の種類の人々と交配しながら移動しているので、現代人類が世界にどう拡散していったかというのは、論証がかなりむつかしい問題でもあるのです。

「私の友達の肌は黒いのかもしれないけれど、私にとってはお友達が大事なのっ」と主張する子供の意見は真っ当なんですよ。現世人類の出発点はアフリカですから。
人種という言葉自体が学術では「社会学」ベースでしかその根拠が持てないのです。サル目ヒト科が還元できないはずの「人種」の話題は、すべて文化的文脈に解体されていくからです。

例えば、アメリカの社会ではアジア人はお勉強ができるという通俗的なフォークロアがあります。日本人として思うのは、アジアはトルコから日本までの広大な地域があるので、一概には言えないものがありますが、近代ヨーロッパに科学的な知識をもたらしたのは、サッカーでいうアジアの西地区の人ですし、南アジアでは、2桁の暗算技術を教育に導入している地域もありますし、東地区の文明の歴史は欧米どころではない長い時間軸があるので、ある意味、間違っていないとは言わないですが、まず、アメリカの教育問題をきちんと議論した方がいいと思いますという応えは提示できます。
子供の時に、教室にご両親のお仕事の関係でアメリカに移住した同級生から手紙が届き、先生が代読したときのことです。
アメリカの数学って楽勝やで、みんな2次関数とか理解できへんねんて。だって、俺、学校で神童って呼ばれてるもん。もちろん冗談やけどなーという内容の手紙でした。
クラスは騒然としたのです。担任の先生は数学の先生だったからです。なんで、アメリカでは数学楽勝なんですか?なんで、わたしたちは楽勝じゃないんですか?何が違うんですか?
この間の中間テストの点数上げてくださいっ。2次関数がわかったらアメリカでは天才なのに、なんで日本では普通なんですか?僕の、わたしのあの点数はどうなるんですか?アメリカに行けば、点数はあがるんですか?
喧々囂々(けんけんごうごう)となった当時の教室をよく覚えています。
みんな、その同級生がうらやましかったのです。
義務教育のレベルが上がったり、下がったり、また上がったりして、日本でも面倒くさい議論がありますが。大人になって使わないから無駄な課題なのではなく、脳の成長過程にとっての教育制度と考えると、ある程度、大人になってわすれてしまうような勉強に立ち向かう子供の時間は大事だったりもするんですよ。

