だれかのようにという発想はありますか?だれかさんのようにとか、だれかさんへの憧れとか。
わたしにとってそういう「だれかさん」は、実はいません。
理由は明快で、わたしは「だれかさん」ではないので、別のひとにはなれませんということです。
広告代理店仕様の発想が、おそらく苦手もいいところなんだと思うんです。
日本の広告代理店って特殊なんだってことを知った数年でもありますし。
特殊なものに興味はないです。

大人が永遠にマンガとアニメの話をしているのは得意ではないんです。
遠慮させていただきます。
「成長するな」とあらゆる世代に規制をかける操作性は興味がないですし、「世代でくくって広告代理店仕様のわかりやすさを日本人に課す」という商法にも興味が無いんです。
みんなバラバラでいいんじゃないのかな?って思ってます。本を読む人は本を読みますし。欧州でマンガって浸透しませんし。
つまり、ロールモデルのような「だれかさん」はわたしにとっては必要ですらないんです。
大人になると、好みもひとそれぞれなので、強要する必要性もないですから。
勝手にいろんなものが好きでいいとも思うんです。
これが好きな私ってかっこいいでしょ?みたいな自己演出にも興味が無いんです(たまに日本のラジオを聴いていると、このひとたちは飽きないのかな?って思ったりもします)。

好きなものが大好きだったらそれでいいんじゃないのかな?って。
だって、好きなものが好きな気持ちは止められませんし。
興味が無いものに興味を持ちなさいって、拷問みたいなものでしょ?
みんなバラバラで健康的なんですよ。
健康的というのは、もちろん、英語の”healthy”の意味です。
好きなものはバラバラでいいんですよ。