お元気だそうです。

ギリアム監督は新作に取り組んでらっしゃるそうです。

現段階の原題は、The Carnival at the End of Daysだそうです。記事によって”The”がついたり、つかなかったりです。

当世の終わりのカーニヴァルってなんでしょうね。

ジョニー・デップさんが駆り出されて、サタンを演じることになったそうです。

探した記事によると、神様が、神様の大切な楽園であるこの地球から人類を殲滅しようと思い立つのだそうです。人類が神様の庭である地球を酷い状況にしているので。そこで、人類に助けの手を差し伸べる奇特な存在がいるんです。サタンです。地獄にいるサタンです。サタンにとっては、人類がいてもらわないと地獄が成立をしないんですね。地獄を成立させないとサタンにとっては職務を失うという一大事になるそうです。

なので、サタンは若い人類について、彼ら、彼女らが新しいアダムとイヴになるんだよっと神様を説得しようと頑張るらしいんですが。神様はサタンの説得をあんまり聞いてくれなさそうなんですって。

そんなコメディだそうです。

アダムとイヴを楽園から追放したのは神様ですしね。

どんなひねりがあるんでしょうか?

どんなひねりになるんでしょうか?

神様は楽園から既に追い出してるんですけどね。人類を。

聖書のどんな挿話を駆使するのでしょうか?ミルトンでも援用するのでしょうか。日本人は比較的手に取りやすいんです。岩波文庫から平井正穂先生の翻訳で上下巻で出ています。

ちなみに、わたしはイングランドの庭園論ぐらいだったら、引用を駆使して小論文を書けるくらいの知識があるんですが。

つまらない映画は嫌です。

ちゃんとひねってあるんでしょうね。

ヨハネの黙示録(創作になるんですよね)によると、大天使ミカエルに負けるじゃないですか?ルシファーの場合は堕天使になりますしね。

堕天使が神様説得しても神様は訊いてくれなさそうですよね。

つまらない映画にはならないんでしょうね。

つまらないと観ませんよっ。

中身のみっしりした映画が観たいんです。

イングランドの庭園論の下地というのは、18世紀には概念化されるんですね。神の映し絵としての自然という概念がイングランドの庭園の肝になるんです。17世紀の一見荒唐無稽にみえる非科学の集積みたいな神学の議論もたくさんあるようですよ。血で血を洗うイングランドの宗教の歴史から、理性でなんとか理解できないだろうかという時代の努力の積み重ねになるんですよ。自然科学と宗教を調和させるという不毛にも思える努力があるんです。階級の垣根を取っ払ったようにも見える努力があるみたいなんですね。何が議題になるかというとひとの罪の源である「堕落」を事実上どう放擲するのかという点になるんです。「堕落」の呪いからどう目覚めるかという話になるんです。例えば、大航海時代でもありますし。非ヨーロッパ圏の情報も得ることになり、キリスト教圏ではまったくない別の国に住むひとたちが楽園のアダムやイヴにみえてしまう現実にどう立ち向かえばいいんだろう?そんな風景にいろんなひとが頭を悩ませるたりもするんですよ。イングランド人ならではの整合性のなかにどう落とし込むのか。さまざまな局面からの努力はなされたんだと思うんです。かなりの時間をかけて。おそらくナザレのイエスは出てこないと思いますが。聖書のキリストが出てきたら楽園は再生産されますし、キリストが降臨すると1000年の統治時代がはじまって、サタンはずっと鎖につながれてなんにもできませんし。「黙示録」自体は創作ですからね。映画だからって黙示録で話を繋げようとするとみんな”the cream of the story”を予想してしまいますし。つまらない映画は嫌ですっ。神様はジェフ・ブリッジスさんだそうです。つまらない映画は嫌ですからねっ。Netflixの場合はわたしは観ることはできません。Netflixはあんまり興味がないんですよ。

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