理解のむつかしい場所。

英語は読めるんですが、米語がむつかしいんですよ。

英語と米語は、違う言語だって思っています。

大体の文法事項は同じなんですが。

使われる単語が異なるんですよ。英語にはその単語が無い、運用が無いという単語が米語にはあります。つまり、おそらく逆もあるんだと思うんです。

どういう意味なんだろう?というのは調べたり、実際の運用のされかたを読み解いたりしないと、本当に全くわかりません。

それが時代ごとに変遷していくので、米語って難しいなって思っています。

英語は専門なので、まだましですが。ただし、とある時代の特定の地域でとある運用をされる言語とかは、やはり難しいです。なんなんだろう?という運用は英語でもありますよ。

それから、スコットランドは得意ではありません。時代が遡るとイングランドとスコットランドは別の国なんだって思いますし。ウェールズも同様です。だって、ウェールズは言語を別に持ってますしね。

それぞれのお国柄があっていいんじゃないのかな?って思っています。

Highlandsについても、わたしは部外者なんだって思っています。単語が違うんですもん。北アイルランドも同じです。

どの地域でも、しょうがないな、イングランドで運用されている英語に近づけてやるよという寛大な姿勢をとってくださると、読めます。

イングランドの英語はいろんな英語の母国だけあって、文法も他の地域だとおそらく見当たらないのかもしれないという文法もありますし。あるんですよ。説明が面倒なので具体的に言及しませんが。母国と言い切ると、それはそれで問題があるんでしょうが。

大目にみてください。

例えば、わたしが好きなアメリカ合衆国の作家はフォークナーだったりします。

好きなだけですよ、読みこなせるかというと自信がありません。

フォークナーの筆致ってむつかしいからです。実際に。

そこにあるのかないのかわからない間隙のようなものを扱うのがとても優れた作家なんです。視点が錯綜するので、存在しうる可能性のある間隙が虚をつくように前景化されるんです。

構造と時系列の扱いではフォークナーの右に出る作家はアメリカ合衆国にいそうもないような気もします。

イギリス文学については専門ですよと言及できる勉強量があるんですが。わからない時には正直にわかりませんっと白旗をあげる真摯さも無論持ち合わせてます。だって、イギリス文学だからです。アメリカ文学については通り一遍でしかなく、叩き上げられたわけでもないので、門外漢ですという姿勢しかとれません。

相談に行ったアメリカ文学の先生が親身に話を聞いてくださった後に、多分、これなんかいいんじゃないのかしらとヘンリー・ジェイムズの小説の読解本を貸していただける教育環境だったんです。

一応、翻訳でも読んだことがある有名な小説だったので事なきを得ました。ヘンリー・ジェイムズはイングランドに帰化した作家でもありますし。それだけ、きめの細やかな教育を受けたんですよ。

イギリス文学を読みこなせるんだったら、アメリカ文学も読みこなせるんじゃない?というほど文学の壁は低くはないんですよ。

実際。

基礎の文法事項は同じはずなのに、異なる国で扱われると言語って違う側面がきちんとありますし。

そこのわかりづらさというのはあります。

わかりづらさについて、わかりますよという姿勢を打ち立てると、あ、嘘ついてるでしょ?というのがバレるんです。

文学を読むときに、作家の取り扱いについては文学では不問律があります。

作家の実人生と作品を別にしてわけるということです。

「作品=作家の実人生」は、文学作品ではまず成立をしませんし、大学ではそのような読解をするとダメな奴という烙印を押されます。

フォークナーの実人生と小説の世界観は別なんですよ。

小説の世界のなかで時系列の扱いや複数人の登場人物の声が互いに反響し合っている筆致に、フォークナーが存在するのであって、作品世界にはフォークナーはいないんです。

大学で小説をテクストとして読解するにはそういう常識を踏まえないと読解できないんですよ。

米語でフォークナーを読むと、本当にたまに闇の中にいるような気持ちになります。

むつかしい作家ですよ。

イングランドの作家についてはある程度の読みこなしは出来るんですが、アメリカ文学についてはからっきしです。出来るという先生がいるとしたら、多分嘘をついている可能性もありますよ。そんな先生はいないと思いますけどね。関西圏なんて厳しいんですよ。翻訳なんか先行例がたくさんありますから。学校の図書館で遠藤周作の翻訳を見つけたときには、なんて勤勉な人なんだろう、凄まじいなって思いました。クリスチャンであるということについて悩んだ作家でもありますしね。Wikipediaで何の作品だっけと調べようと思ったら記載すらないです。実はこちらで記載があるんですが、フランソワ・モーリアックの翻訳があるんですよ。先達の研究者の翻訳を下地にしながら翻訳したんでしょうか?多分、そうだと思います。多分としか言いようがないんですけれどね。

error: Content is protected !!