英文学の勉強。

最近はわからないんですが。わたしの頃は、文献が豊富だったのかもしれません。

アメリカ文学史とイギリス文学史というのが、だいたい対になって入門書が出ていると思います。

大学の図書館においておくものですし。

旧版でいいと思います。わたしの時の教科書でもたいがい古かったので。わたしは講義の指定で(先生方が値段が高くなく、且つ平易なものとして決めてらっしゃったようです)、成美堂のイギリス文学史とアメリカ文学史が教科書でした。

もってますよ。

そして、大事になるのは結局、講義のレジュメになります。

専門分野として英文学と米文学が並置されている場合は、わたしが学生の頃には概論がきちんとあって先生がたが講義をしてくださっていました。専門の先生がぁーというときには、伝手を頼って外部の先生が、集中講義だったりを開いてくださったりしていましたよ。

アメリカ文学史については門外漢になるのでわからないんですが。通り一遍の知識しか持っていません。専門ではないからです。だって、アメリカ合衆国の通時的な文学の詳細な知識まではないです。専門ではないからです。例えば、ジャック・ロンドンはジャック・ロンドンとしてしか知りません。論文とか全く読んだことがないんですよ。ジャック・ロンドンを中心とした地場とかあるのかどうかも知りません。専門ではないってそういうことなんです。

イギリス文学史って考えると、やはり、チョーサーからモダニズムくらいまでのような気もします。2025年の現在ですが。イギリス文学史で学ぶべきというのは大文字の文学と呼ばれる、この詩人、この作家、この劇作家は押さえておかないと、イギリス文学を学ぶとは言えないっという作家に限られます。周辺の作家まで扱っていると膨大な量になり、なぜこの作家が選ばれて、この作家が漏れているんだという議論に終始するので、ベーシックを押さえておくことが大事になります。大体、そういった議論って歴史の淘汰を待たないといけない問題になるので、現在の作家が150年後くらい先まで評価があるのかどうかに関しては未来の問題になります。

イギリス文学史なんですけど、イギリスの周辺の国、例えば、アイルランドとかは含まれます。

もっと専門的に勉強するようになると、自分の周辺だけで、なんでこんなに作家がいるんだとか、なんでこんなに詩人がいるんだとか、フランス語の勉強が進みませんとか、ええ、言い訳です、逃げていますとか、ルソーまで絡んでくるなんてっとか、勉強しようと思うと本当に膨大な量になります。

しかも小説って長いので。面白いのか、つまらないのかなんて二の次なんですよ。

この劇作品を一生懸命論文に落とし込もうとして読み解いてるの、世界でわたしだけだったらどうしようって、被害妄想に陥りそうになったこともありますよ(先行文献があるので被害妄想です)。

もうちょっと何かないだろうかというときには、『はじめて学ぶアメリカ文学史』と『はじめて学ぶイギリス文学史』が個人的なおすすめです。

理由は原文と対訳がついているので実践的なんです。

実はもっと実践的な本はたくさんあるんですが(もっています)、上記の2冊がおそらくバランスとしてはいいんだと思います。

実際に英語の文章を読解していく作業が待っていることにはなんら変わりはないので。

通時的にこんな様々な文体があるんだというのを押さえるのに役立ちます。

中古でいいのがみつかるといいですよね。学校の図書館にも置いてあるんじゃないでしょうか?

アメリカ文学史についても、イギリス文学史についてもこの4冊を最初におさえておけば、ベーシックな知識というのはある程度ですが、持つことができると思いますよ。

最終的には先生の講義のレジュメになるのは、いつの時代でも変わりはないと思います。

わからないーってなったら、そこは先生に聞きに行ってください。

それぞれの先生でご専門はおありだと思いますが。英文学が専門ですという先生は、通時的な情報はもってらっしゃいます。それがベーシックだからです。一応の知識というのはどの先生もお持ちになると思うので。

わたしが学生の時には、英文学、米文学のベーシックは押さえておくというのは普通でしたからね。

その常識が2025年には失われているというのは考えづらいですし。

大文字の文学(メインストリームです)の周辺までとなると、進学しないと結構しんどくなるので、学部のベーシックだったら、大文字の文学をど真ん中でしっかりと押さえるということに力点を置いたほうがいいです。ベーシックの知識を押さえておくと、進学したときに周辺のジャンルまで押さえないといけない範囲が広がった時にでも、その基礎の知識が役に立つんですよ。

英文学にしろ、米文学にしろ、学部レベルだと大文字の文学を押さえることが基礎知識になるので、それが重視されているのはいまも一緒だと思います。グレートブリテン及び北アイルランド連合大国やアメリカ合衆国の英文学や米文学の講義から乖離はしないですよ。

わからなかったら、頑張って質問に行く勇気くらいは持ってくださいね。

そのために大学に先生がいらっしゃるはずですから。

大文字の文学に関しては、大文字の文学という概念がなくなることはないので。大文字の文学について、小難しいことを並べることは容易いんですが、大事になるのは、それをきちんと学んで自分の胃の腑に入れるという作業になります。

日本の国文学でもそうだと思うんですよ。日本の国文学でベーシックの作家っているじゃないですか。

そこを押さえておきなさいという作家なんてたくさんいるんですよ。詩人もいれば、劇作家もいると思います。きちんと読んでないと無教養ものめってなるでしょ?この作家も読んでないなんてって。わたしはよく怒られていましたよ。

不得意なんですー。生理的に無理なんですーって訴えると、余計に怒られるという。

いつでも八方ふさがりでしたよ。

世阿弥とか古いものでも知識としては必要になることはありますし。日本の演劇についての文庫で、岩波文庫で、個人的なヒットは安永5年の本を文庫にしてある『役者論語』です。論語読みの論語知らずをもじったようなタイトルですが。大体において、当時の坂田藤十郎さんに話を聞きにいったのだろうなという内容なんですが。勉強になったんです。例えば、シェイクスピアの時代には男性が女性の役を演じていたので。日本の演劇には女形の歴史があるでしょ?シェイクスピアの時代性の演劇の知識はあっても、どこか肉薄できないときに参考にして読んでました。

勉強するといろんな本を実際に読むことになります。

しよさの秘伝(所作の秘伝)という項目があって。一、何々って箇条書きになっているんですが。

一 さいどれともに。頭をつかふべし。ふりのしなにより。こまかしくまたは大間にもすべし。頭をつかうを第一とすべし。

女性の役を演じる時にはどの役であろうとも、頭の動きに注視をしましょう。頭を動かすことにより、女性らしい動きというのを作ることができます。細かく動かすことも大事ですし、大きく動かすことも大事になります。頭の動きを利用して演じるということが第一義になります、というような意味内容が書かれていると思います。なるほどなぁーて思ったりもしました。

イギリス文学史に出てくる作家や詩人や劇作家を勉強していくと最終的に自国に文献で核心部分を学んだりすることにもなります。

そこまで急には無理なので。

まずは、大文字の文学を押さえるという姿勢が大事になります。

興味があるよという皆さんは頑張ってください。

進学までしたいという珍しい人は、英語が読めないと、米語が読めないと使い物にならないので。

読解を頑張ってください。簡単じゃないからこそ、努力の余地があります。

毎回同じ言及をしますが、きちんとした米文学、英文学の先生はSNSに耽溺はしてらっしゃいません。アカウント持ってらっしゃらないので。発信している先生は何かの勘違いをきっとなさっておられるのか?それが大学の方針なのか?まぁ、事情があるんだろうで流しておいていいと思います。変だなぁーと思った先生については、近づかないに越したことはないです。学生の勘は結構正しいので、勘を大事にしてください。ちゃんとした先生は、講義内容がいいはずです。学生受けとか狙いはないはずですしね。わたしはちゃんとした先生にしか学んでないので、皆さんの勘の良さはわかるような気もします。シェイクスピアの先生にも学びましたよ。厳しい先生でしたが、こちらが勉強をさぼらない学生だって理解してくださるととても親身になってくださるいい先生でした。ちゃんとした先生というのは基本的にちゃらちゃらしていませんし。世事の功名心はお持ちではないのです。研究者ですから、当たり前ですよね。研究書を上梓なさる際は、きちんとした出版社から上梓なさるんです。専門書なので、専門書を取り扱う出版社になります。つまり、一般の出版社ではないケースがあります。

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