ひとが亡くなって、その後はどうなるのかなんて。誰も知らないですよね。
ネアンデルタール人は葬儀の風習をもっていたそうです。ナショナルジオグラフィック詩に掲載があります。
葬儀を行うということは、どこかで死について考えていたのかもしれませんし。脳の構造はヒトと違うのかもしれませんが。
わたしは結構現実的な視点をもっていて、ひとが亡くなった後の世界なんてないんだろうなって思っています。ひとが亡くなった後の世界は、そのひとがいなくって寂しいと思う生きている人たちが描いている世界でしかなく。

それは、きっと空想の世界なんだろうなって。
だから、そのひとがいた時の記憶だったり、残した記録というものを、大事にするんだろうなって思ったりもします。
忘れないようにって。
ひとがいなくなるって、生きて、生活をしているひとからすると、とっさの間隙になるんですよね。
日常で知らない間に間隙が存在して、昨日までいたひとの存在をそっとその中に包み込んで、消してしまうんですよ。
記憶の失われ方ってそんな感じになります。
どうだったかな?って。

どんな表情だったかな?とか。そう言っていたのは覚えてるけれど、どんな表情だったかな?とか。
声の調子まで覚えているのに、肝心の表情がさっぱり思い出せないとか。
冷たい手で心臓をつかまれたような気持ちになったりもします。
取り戻せないような心持ちになったりもします。
不思議ですけれど。
永遠に、ふとした間隙に記憶が吸い込まれてしまい、二度と思い出せないのかもって。

どんな表情だったのか、どんな声だったのか、どんな身振りをしていたのか。そのひとの声音は低かったのか、高かったのか。
思い出せないんですよ。
途方に暮れても、記憶自体がかき消されて。知らない間に開いた間隙が記憶ごと包み込んで消えてしまうんです。
時間がたってそんなことすら忘れていると。
ふっと、何かにぶつかったように鮮明な記憶がよみがえったりもします。

その繰り返しで、距離感をつかんでいくのかもしれませんよね。
きっとそうなんだと思います。
結構前に、幽霊がいたら死んだ後に、幽霊になって出て来るよって宣言されたこともあるんですが。まったく実現されてないですからね。そんなものなんですよ、きっと。