参考にする文献。

例えば、ドゥルーズでもいいんですが。そういえば、生誕100年なんだそうです。知りませんでした。生誕100年ですって言われても、どうしていいのかわからないんですが。

そんなものですよね?

わたしは詳細を理解できないときには日本語の翻訳のテクストを読みます。英語文献もたくさんあるんだと思うんですが。正直、玉石混交になります。日本語のテクストだとある程度、文献のレベルが確保されるので日本語の翻訳テクストです。研究者のみなさんの努力にひれ伏すしかないんですよ。

薬漬けからの減薬でフランス語の習得なんて正直無理です。

習得はいまは無理ですね。気力も体力もまったくついてきません。語学をがりがりやる現在地にないです。たまに気分転換で、なんとなくの勉強をしているくらいです。

英語は習得済みなので負担はないです。日本語とおなじくらい間違えますし。

すいません。反省しています。

たまにフランス語の勉強をやると楽しくはあります。つまり、習得のための学習を、がりがりやっているときのしんどさに持ち込めていないということです。

無理なときは無理なんだと諦めています。がりがりの勉強をするような体の状態ではまったくないです。

日本語で自分の専門ではない、たとえばフランスの現代哲学を読む場合は、基本的に翻訳書を読んでいきます。哲学書を読み散らかしているというのもありますけど。慣れの問題です。

繰り返しの言及ですが。新書は一般の読者のために専門家が紙片の限界値に挑みながらお書きになるものがほとんどだと思います。

新書からしか手がつきません、でも読んでみたいんです、という殊勝な読者の皆さんもいらっしゃると思います。

参考文献というのが最後に掲載されていると思いますが。複数の研究者が同じ哲学者をテーマにしていてよくわからないという場合は、参考文献を多く挙げている研究者を選んでください。

わたしが学ぶ先として新書を選ぶかといわれると、やはり、選ばないです。

私が購入した時の『ドゥルーズ 流動の哲学』は講談社選書メチエのものですが、講談社学術文庫はその増補改訂になるので、もっと内容がいいはずです。

もうちょっと踏み込んだ内容を読んでいても問題がないですという読者の方には、講談社学術文庫の文献をおすすめします。

端的な理由なんですが、単行本の文献で、長く読まれ続けていて内容に定評のある文献が入るのが、講談社学術文庫の基本的な性質になるからです。英文学の文献もありますが、扱う内容が幅広いんです。もちろん、翻訳のテクストも扱っています。え?単行本でなく、もう直接文庫なんだ?という場合もありますが。そのようなときは、きちんと精査は必要になります。まぁ、そこまで目くじらを立てなくても、講談社学術文庫の基準が高いので基本は問題はないです。

文庫でいうと、あとはちくま学芸文庫です。こちらもいいと思います。日本の研究者の文献もあれば、研究分野によっては読むべきだなという文献の翻訳もあります。イギリス文学で例を挙げると、アーサー・O・ラヴジョイの『存在の大いなる連鎖』などが文庫化されています。イギリス文学を勉強するひとで、この文献を読んでいない人はおそらくいません。知らないという先生はいらっしゃらないと思います。仮に読了していないというイギリス文学研究者が日本に存在をしていたら、それはそれで恐ろしいミラクルが起こっていると思ったほうがいいです。

ある意味、ホラーです。

翻訳文献でもラヴジョイの文脈というのは当たり前に出てくるので、ラヴジョイの定義している文脈をあらかじめ知らないと、意味が通らないというケースはありふれているんです。

それだけインパクトがある文献です。

イギリス文学の研究にはそんな文献がたくさんあるんですよ。近年のものなんてわたしは無視していますけれど。理由は論考に厚みがないからです。厚みのない論考ってなんだろう?って思いますよ。

学ぶ入り口として文庫を選ぶときには、基本的にはどこの文庫でもいいんですが。内容を精査して良質な文庫が選べるといいですよね。場所取りませんし。

持ち運びも楽です。電子対応もあるケースもありますし。

わたしのように新書を読んでいると怒られてしまう学生さんがいるのかどうかはわからないんですが。

なんでそんな形態の本を選ぶんだって怒られるケースもなくはないと思うので。

わたしがレアケースなのかな?って悩んだんですが。そうでもないと思うんですよ。

哲学書の概説としての新書は1、2冊くらいし手持ちがないですが。

念のために読み返すと、2冊くらいで挫折するかもしれないなという印象でした。

実際にお書きになっている専門の先生の苦悶がそのまま文章になっているので。やはり読みづらいんですね。なんだか苦しみの痕跡が立ち現れる筆致にずっと付き合って読み進めるという時間を過ごすことになっていて。

それだったら、定評のある研究者の文献の文庫があれば、そちらを読んだほうがいいと思います。

実際に、はじめて学びますという研究分野で苦闘の痕跡のような筆致にずっと付き合うと、読んでいるこちらも疲れますし。扱っている哲学者だったり、哲学分野のトータルのバランスがわからないままに読み終わるので、わからない箇所がたくさん出てきますし。だったら、きちんとした初心者向けの論考になっている文庫を選んだほうがいいです。

翻訳文献も同じです。

そんなこと言い出したら、テクストの翻訳文献で一番安定しているのは岩波文庫です。間違いありません。

わたしが詳細を押さえてはない分野で、イングランドで盛んに研究が行われた分野があります。

好きで読む分野ではあります。ただ、専門家ですか?と問われると、好きで読んではいますが、専門では全くないですと答えますね。誠実さは大事になります。

数理論理学を基礎にした論理学です。言語哲学です。

うーんってなるでしょ?

実はホワイトヘッドが数学の入門書を書いた文献があるんですが、角川ソフィア文庫から、今年のクリスマスに新訳が出るそうなんです。

イングランドの学者って実は入門書を手掛けることがあるんです。

『数学入門』です。

気になる方は読んでみていもいいかもしれませんよ。わたしは読んでみたいです。手元にある読むべき文献の読了後になりますが。ドゥルーズが現在テーマになってしまっているので。それが終わった後ですね。

わからないときには、わかりやすいものを探したりすることも大事なるのかもしれませんが、能動的に理解するための姿勢も大事になるんだと思います。

そういうタイミングで、え?という翻訳書に出会うこともあるかもしれないじゃないですか。

良質の翻訳書であるといいですよね。

学術で楽な分野はおそらくひとつもないですよ。諾々と読むしかないんです。

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