東アジアの春。

黄砂ですよね。

タクラマカン砂漠やゴビ砂漠から飛来すると学びましたが。偏西風に乗って日本まで砂漠の砂が旅をしてくるんです。

砂の旅は春の到来を告げるんですが、同時に屋外で大変なこともあります。

洗濯物を屋外に干せなかったり。

長く住んでいた場所で、街をぼんやりと歩いていると視界がかすんでいるんです。

靄がかかっていて。

なんだろう、この光景はと思うくらいで。

ちょっと先の建物が砂の色味を帯びて霞んでいるんですよ。

先生にメールを書かなければいけなかったのか、別に書かなくてもいいメールを書いたのか覚えていないんですが。

街が霞んでいて、先生、あれは何ですか?って質問を送ると、黄砂だよとお返事が返ってきました。

驚いて先生に質問するくらいの風景だったみたいです。

緑化の努力は国際協力も込みで中国国内で頑張っているそうですが。

ゴビ砂漠は中世期には緑豊かな土地だったそうなんです。化石がでてくるそうです。恐竜の化石の聖地(?)でもあるそうです。

年中灼熱の砂漠ではなく(近所にある国はモンゴルですしね)、冬には極寒なんだそうです。

土壌そのものが乾燥を極めた痩せた土地の最終形態が砂漠になります。

広大な範囲で、土地に含まれるはずの栄養が枯渇した最終形態の砂漠で、緑を取り戻すって、どんな風景なんだろうなって思ったりもします。ゴビ砂漠にも緑はあるんですけれどね。だって、人が暮らしていますから。

西夏のひとたちは住んでいたんですよ。西夏のひとたちは国土のなかにゴビ砂漠の一部を抱え込んでいたんです。

グーテンベルグは15世紀中期に聖書を印刷していますが。西夏のひとたちは12世紀に陶器で活版印刷を頑張っています。どこの地域でも文字って大事になります。

この文字は西夏の文字ではありませんが。

あのとんでもない画数の文字をつかってどんな考えを伝えていたんでしょうね。

中国や日本で使われる象形文字は実際の視覚情報を抽象化して文字に落とし込んでいる局面があるのですが。画数が多いということは、図像化される際の手続きに何か独自性があるような気もします。

砂漠で何を考えて暮らしていたんでしょうね。

砂漠でどんな知恵を集積していたのでしょうか?

東西の交易の要所が砂漠を要する西夏にあって、画数のとても多い独自の象形文字を持っていて、独自の言語をもっていて発話をしていたはずなんですが。

文字は残っていても統語すらも未知なんです。周辺地域で残った言語から辿っても限界はあると思います。

何を考えて暮らしていたんでしょうね。足元で発見した化石をみて何を思ったんでしょうね。え?なんだろう?って探してみて、探した挙句に悩んでも、11~13世紀に答えはないのでしょうし。気の毒ですよね。

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