階級の溶解と再定義。

イギリスは階級社会が歴史的な背景になっている国になります。

国王もいますし、貴族もいます。そのほかの普通の人々も暮らしています。

普通の人々と貴族の間に身分的流動性がゼロかというと、限定的ではありますが、爵位のなかに国の功労者にあたえられる一代限りの栄爵があります。貴族社会の暮らしに関してはわたしは門外漢なのでわかりません。子供がいない貴族の家庭に養子にもらわれることで身分的流動性を得るというケースもなかにはあります。歴史的にもそういうケースはあります。

また、17世紀~19世紀まで、中流階級については流動性があります。ただし、ひろい枠組みの中流階級のなかでステップアップしていくのにも時間がかかるのが現実で、大体3世代くらいかけてアッパーミドルクラスという中流階級の一部へ向けて、暮らし向き(議員になる人材も出てきます)が変わっていくというのが普通だと思います。

アッパーミドルクラスのひとたちは、通常は国王や女王の宮廷があるロンドンと田園地帯に地所を購入して、2か所で住まいをもつんです。

19世紀にはいるとロンドンという都市がかなり発展をしていくので。

ロンドンという都市において階級社会が生まれたりもします。階級社会自体はシェイクスピアの時代からあります。シェイクスピアが活躍したのは演劇の場ですし。ある意味、階級社会が治外法権になるトポスでもあります。いろんな場を抱えながら、ロンドンは都市になっていくんです。

ロンドンには貴族階級から貧民までが暮らす都市になるんです。歴史的に。そして、首都であるロンドンで形成された階級の感覚というのは、地方都市でも見られていくようになります。産業革命がおこったのは、マンチェスターですし。イギリスには各地域に歴史をもった都市があります。

20世紀にはいると、小説でも描かれますが商業に従事するひとたちの社会的身分の流動化もおきます。商業に従事するひとたちの中流社会への流動化があるんです。

また、階級社会の分類については、辞書的な階級社会の分類だと上流、中流、下層、労働者階級社会となるのかもしれません。そして、階級制度に根差した社会形成の歴史が長いので、この各階層をさらに細かく分けたりすることもあるみたいです。そのような階級社会の分類に根差した階層分けの意識というのは現代まで続きます。細分化していくと地域地域の事柄にもなっていくんだと思います。

階級社会のなかでの定義づけも、変遷があるんだと思います。

イギリス人って大変ですよね。

そこに現代社会では移民の問題だったりも含まれたりもするので。

労働者階級の定義になります。Cambridge Dictionaryのweb上の簡易版からです。


Working class

a social group that consists of people who earn little money, often being paid only for the hours or days that they work, and who usually do physical work:


労働者階級

社会的な層のこと。賃金労働がままならない人々も含むが、大抵は時給や日給で働く低賃金労働者のことで、しばしば肉体労働に従事する人たちの層のこと。

Oasisのノエルさんが最近の労働者階級の子供たちは、ギターも購入できないんだということをインタビューで答えてらっしゃったことがあるんですが。

イングランドの経済もほかの欧州地域同様むつかしい局面もあるそうで。

そんなこといったら、欧州の何倍も苛烈な状況を迎えているのは、日本になります。数年でデフレからインフレという離れ業をやってのけているのは日本だけですよ。経済的に最悪の状況から更に最悪の状況への移行です。どんな経済対策やったらこんなドツボにはまるのか、だれにも理解できません。

悲しい事実ですが。

話をイングランドに戻しますね。

最近、英語で労働者階級のとらえ方ってどうなっているのかな?と実際の運用を気をつけてみていましたが、低賃金労働者という認識が一般的なようです。階級云々というよりも、低賃金で働かないと生活ができない低所得の層を労働者階級と呼称している様子がうかがえます。

BBCの報道からなんですが。

Civil service interns must all be working class, government says

一部だけ試訳をします。

政府は省庁からホワイトホール(トラファルガー広場から国会議事堂へ至る官庁街)まで、より労働者階級の活躍の場にという推進の一環として、貧困層の家庭環境にある学生にインターンシップを制限する。

主なインターンシップ制度は貧困層の家庭環境にある大学生を官公庁に誘致するために立案されていて、低所得者層の学生にのみ有効になっている。判断基準は学生が14歳のときの親がどんな仕事をしていたかになる。

BBC

日本だと差別感情を煽るという表向きの理由で立案されたところで、廃案になると思います。

日本のほうが差別感情が苛烈だからです。

また、日本の場合は大学に進学をするうえで、学生が経済的に追うリスクは苛烈になります。負債の状況が大学1年からはじまり、有償の奨学金の返済に社会人になってからの長い年月をささげるという先進国でも教育の施策としては異常とも思える状況を日本政府や当該省庁は看過しづづけています。

イギリスでは教育の機会均等を通して、階級社会の流動化と再定義を頑張っているのかもしれません。

イギリスは階級社会ではあるんですが。

どこかで流動性を確保するという社会背景をもつこともあります。上昇志向もあれば、そうでない志向もあるみたいです。

むつかしい局面での流動化も過去にはあったのかもしれません。人口動態にいろんな隙間があいて、実際の人口動態が階級社会に反映されないうちにおこる流動性です。

移民を受け入れてきた歴史をもっているイングランドでは、巨匠ケン・ローチ監督が一本の映画を撮っておられます。

邦題は『この自由な世界で』(2007)です。日本では翌年の2008年に公開になりました。

日本の予告編は探し出せなかったんです。

ヴェネツィア国際映画祭で最優秀脚本賞を受賞しているのに。

脚本は、ポール・ラヴァーティさんです。

主人公の女性は労働者階級です。ある日、職を失うんですね。そして、再起をかけるんですが。あるときに、不法移民の存在に目をつけるんです。そして、暴力の最中に自分の身を置くようになり、周囲を巻き込んでいくという物語で。

当時、すごくショックを受けた記憶があります。

約20年前の映画ですが。当時の不法移民が低賃金労働者が請け負っている金額よりもさらに安い金額で仕事を請け負ってしまうので、イングランドの労働者階級が構造的な苦しみを抱えている風景が映画の中で広がるんですね。

こんな過酷な風景が当時のイングランドにはあったのかもしれません。

そして、映画公開からは約20年の歳月が流れています。

この20年の歳月のなかで分断の問題が前景化することによって、また、後景におかれることによって、2007年の現在よりは、平和になっているイングランド、およびイギリスという国であるといいなとは思っています。

また、実際そうなんだろうなって思います。

Oasisは労働者階級が生み出したバンドだったのかもしれませんが。同じ労働者階級が地域で塊になって再生産になっているのかというと、また、違うんだと思いますし。

20年前にPremier Leagueで”Black lives matter”の啓発活動が行われていたかというとないですし。きっと20年弱の時間のなかで、その機運というのが生まれていった現実があるんだと思います。

時代が変わったので、リーグを挙げて各クラブの総力で努力する姿勢が打ち出せたのだと思います。

貧困層と位置付けられてしまう優秀な学生さんたちが勉強を頑張って、階層自体を流動化させていく可能性を押し広げていく施策が打たれているんですから。そういう様々な努力というのをイギリスという国は行う国なんだと思います。権利を勝ち取る歴史を持った国ですし。

選挙権についても、女性の権利にしても、大学に通う権利についても、獲得してきた歴史があるんです。

例えば、どこかの街で夕方に賑わうお店の人たちに向かって、あなたたちは労働者階級ですよねという姿勢を突き付けるような礼儀知らずのひとがイングランドにあふれているという風景は想像できないんですよ。

ケン・ローチ監督の『この自由な世界で』で描かれている風景が、ある程度過去になってもいる現代のイングランドなのではないだろうか?と個人的にはそう思っています。

社会って変わっていくはずなんです。

ケン・ローチ監督の作品群を時代をさかのぼって順番に観ていくと、きっとわかる視点もあるんだろうなって思います。

いまはちょっと個人的にタフな期間なので。できないですが。回復したら、映画を観なおしてみたいですね。未公開の映画もありますが。日本でなんとかなりませんかね。

ちなみに一番好きな映画は『ケス』(1969)です。

一方で、日本にはイギリスのような階級制度というのは存在しません。天皇家とイギリスの王室は並置することはできないんです。制度が異なりますし、日本の皇室ほど古い時代背景をもった制度設計自体が欧州には存在しません。

明治期に王政復古がありますが、江戸自体の身分制度がなくなる一方で、新しい階級社会の形成もあるんですね。華族の創設もあります。ですが、太平洋戦争で日本が壊滅的なダメージを負うので、それどころの話ではなくなります。華族も財閥も解体されていきます(閥自体は残余しています)。

階級闘争みたいなものはないんです、現代社会の日本では。マルクスやエンゲルスが記したような階級闘争の明確な痕跡を探そうとしてもむつかしいと思います。

階級闘争というよりも、内容の明確でない権利主張が最終的に暴力に結びついて挫折するみたいな歴史はあるのかもしれません。同じ形で繰り返されるかというとそこまでの持続性もないんです。持続できないような内容の無さだったのかもしれませんし。階級闘争と日本社会というのは折り合いが悪いのでしょうか?

また、いわゆるイングランドのような階級制度というのは、戦後は特に存在はしません。制度設計がないからです。

そして、階級闘争が可能なほど、ラベリングを明確化するのを日本の社会はよしとはしません。実際に自民党政権の政策で流転して実質的な階級社会が形成された側面はあります。それを働き方の自由と考えるべきなのか、格差助長と考えるべきなのか、ほかの視点はどうなのか?という点についてはいろんな視点があっていいと思います。実際に働き方の改革が複数あり、格差助長が形成されて、知らない間に社会保障は削られていき、日本人は死ぬまでプロレタリアという社会が形成されつつあるのかもしれませんし。同じ約20年をかけて、日本人は総じて、職業関係なく貧困化の未来をたどってきたのかもしれません。

実際に、社会制度のなかで2重3重の課税の状態は横行して、高市内閣が選挙公約にした食料品の消費税減税については具体化するのに時間がかかりすぎています。

財務省の税収入がたくさんあっても、与党があちらこちらに補助金ばらまいている状態だと根本的な制度設計については何も手をつけないので。長い目で見ると焼け石に水という政策を打ち続けていると考えることもできます。

人口減の局面ですが。イギリスが1億の大台を維持して社会形成なんて、歴史を遡ってもないんです。

人口減ですが。「人口減=税収減」と定式化できるくらいに、日本の企業は海外移転なんかしていないか?というと海外移転もあるので。「人口減=税収減」というわかりやすい図式が成立するのかさえ怪しいです。そこに政府の補助金のバラマキもあるので。

ですが、日本には日本人が住んでいますし。海外から日本の来ている人たちも暮らしています。そして、選挙権をもつ日本人は貧困化の一途です。

円安誘導、インフレ、インバウンド、そして収束しない物価高の状態について何の解決策もないので、日本人の貧困化には拍車がかかり、長期の休みになるはずのゴールデンウイークは大抵のひとが自宅で過ごすんです。

このような状況は、政府与党の散々な施策の結果でもあるんですが。

同時に、この状況を可能にさせたのは選挙で投票に行って最終的に与党自民党を大勝させた日本人の選挙行動にも起因するのが事実なんです。

間違いのない事実になります。

日本では階級社会を前景化させはしないんです。それだと赤の他人を貶めて憂さを晴らしているだけになるじゃないですか?いわゆるバッシングになります。日本人の成熟って暴力と相性が悪くなってきている可能性すらありますし。それが日本の社会の変化なのかもしれません。

日本にも様々な形で分断を煽ろうとする動きがあるのかもしれませんが。

大事になるのは、感じた違和感を大事にしながら。それが解消されないときには投票行動でしっかりと示すことになると思います。

それぞれの判断です。

それぞれが自分の権利に向き合って投票行動で示すしかないんだと思います。

分断はだめなんですよ。マルクスもそこまで細かい分類はしてませんよね。マルクスってイギリスでなにをしていたんでしょうか?勉強していたのは知っているんですけれどね。個人的には歴史の勉強を頑張るべきだったと思っています。

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