異なる次元の話。

Social mediaについてはマイペースに使っていますが。

たまに別のsocial mediaの情報に触れることもあります。

別のsocial mediaといっても、言及される情報は主に旧称twitterになります。

他にもsocial mediaはたくさんあるのに。使用しているsocial mediaの性質上なのかな?って思ったりもするんですが。

原因はわかっていません。

旧称twitterにすごいニックネームをつけているひとがいたり。

そのままの引用はできないので、パラフレーズします。

「喧嘩上等のデータセンター」みたいなニックネームだったりします。

もはや知らない場所になるので、わからないんですけれどね。

翻訳機能がついて、バトルフィールドが国際的な展開を見せているそうです。

具体的な内容がわからないので。

想像するしかないんですが。

なんだか、めんどくさそうですよね。

北イタリヤのシトラスが空中に舞う中世から続くバトルフィールドのほうが、中身があるんじゃないのかなって、思ったりもします。

中世からの風変わりなお祭りのほうが、中身がありそうですよね。中世から延々と、お祭りなんだからたまには羽目を外してもと、暴力性が前面に押し出されるお祭りがあるそうです。一生懸命にシトラスをぶつけ合うんだそうです。いろんなシトラスがあちらこちらから投げられたとしても、最終的には、そのシトラスの香りに癒されながら、お祭りの後にはみんなで、一生懸命、そのバトルフィールドを片づけるんですから。

シトラスの香りに包まれて、壮大なお祭りのあとの片づけはちょっと辛いのかもしれませんよね。

香りだけが癒しなのかもしれません。オレンジの視界を協力し合って片付けるのでしょうし。

お祭りとしての手段と目的が、日々のさまざまな鬱屈の一時的な開放だったとしても、参加者が過度な暴力性を発露しないようにと、投げるのは神経を落ち着かせる香りを放つシトラスって。

お祭りとしては、それでも、理にかなっている側面もあるのかもしれないなって思ったりもします。

本気で投げるので痛くてケガもするそうですが(投げつけないで、お願いという救済策や目印もあるんだそうです。白旗ではないんですよ。白旗だったらオレンジに染まりますからね)。その様式美は採点によって評価され、勝ち負けがきまるんです。どのタイミングで投げるのか、どのタイミングでよけるのか。採点基準は実際にむつかしそうとは思うんですが。

最終的に採点を稼ぐための様式美でもあるので。お祭りなんですよ。

一方で、旧称twitterの大規模火災って。

意味があるのかな?って。

フェイクニュースの温床のようにもなっているのかもしれませんし。

以前のことなんですが。使っているsocial mediaで空の写真をぼんやり見ていた時に、サーバーがダウンしたのが原因で、当時、アカウントを両方持っている人たち(?)が雪崩込んできたんですね。

旧称twitterの文体のままに。

違う文体で空間が染まっていったんです。

それまですごくのんびりして長閑だったのに、文体でバトルフィールドに汚染されていったんです。

呆然としましたが。風景が急速に変わっていく様子に恐怖を感じたので、そのままアプリを閉じました。

バトルフィールドが好きなら、サーバーの復旧を待てばいいのに。別の場所を汚染するなぁって思ったりもしたのですが。多勢に無勢なので。

いまでは、考えたうえで使用方法を変えてあります。

できるだけほかのsocial media(旧称twitterは特に)の特性に触れないような使用方法にしています。

ものすごくイライラしているのが伝わりましたし。久しぶりに文体に触れたんですが。なんだかすごく粗忽で荒々しく野卑なんです。日頃の文体があれだとすると、実生活で困りごととかでないのかな?と心配しそうなくらいで。

日々の文体が苛立ちだらけだと、ふとした時に感情までの導火線が短くなったりしないのかな?とか。

10年前と比較して性格が荒れたりしていないのかな?とか。荒れた人は荒れた人たちと一緒になって更に荒れる習性を獲得していったのかな?とか。アプリ内でヒトの進化が確認されることなんて文化人類学上でも進化論上でも無理だけれど。つまり、人文科学でも自然科学でも困難だけれど。

バトルフィールドにいつもいると、日頃の振舞いに影響は出ないんだろうかと思ったりもするんですが。

使用する人の自由なので。

なんとも言えません。

いつもけんか腰で、自分と他人はそもそも違う人格が前提になっているから勘違いもあれば、思い違いなんてたくさんあるという当たり前のことにも気づけずに、日々鬱屈を抱え込むことが常態になっているのでしょうか?

毎日、鬱屈をためこむために、旧称twitterのアプリを開いて、感情をかき乱すんでしょうか?

楽しい日常ではなさそうですよね。どちらかというと倒錯を抱え込んでいるような印象も持てます。

何を楽しみにして日々の生活を営んでいるのでしょうか?闘争心を掻き立てるためにアプリを開く日常って。

常にアプリケーションに追いまくられている感じなのでしょうか?

確認行動から逃れられない感じなのでしょうか?

2~3日アプリを開かないという生活も維持できないとなるとむつかしいですよね。アルコール依存の禁断症状のようですし。なんだか健康にはよくないような気がします。

こころを病んでもしょうがないと思うんですが。

もう想像が追いつかないんですよ。

常に戦わないといけない基本姿勢って辛そうですよね。

常にけんか腰でも疲れると思いますし。いつも誰かから攻撃される可能性があって、反撃しなければいけないという精神性をもつというのは、ある意味動物的でもありますよね。アプリで動物としての野生を研ぎ澄ますのでしょうか?そこまで必死にならないといけないってきっと大変なんだろうなとも思いますが。各自の自由意志でもあるので。なんとも言えません。

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