近似という言葉の魅惑。

たまたま、その場でテレビがついていて、なんとなく観ていたんですね。おそらく大学に籍のおありになる先生が発言なさっておられたのだと思うのですが。

最近よく耳にする言葉があって、1930年代と時代の風潮が似ているというものです、とのことでした。

根拠は何になるんだろうと興味深く話を伺おうとしたら、そこでその先生の発言は終わったんです。

虚を突かれたような印象を受けました。

日本のメディアに触れる時には、ほとんど文字しか追わない近年なので。余計に驚きました。地球上の別の地域で英語を介したメディアに触れることはごく普通のことで。ニュースも観るので、他国のパロールに触れる日々ですが。

大学人の発言が印象論で終わることはないんです。基本的には。

そのあとにちょっと考え込んでしまいました。現状のアメリカ合衆国が金本位制度からの脱却を考えている様子はないですし。アメリカ合衆国の歴史には疎いのですが、ルーズベルト大統領が腐心したような恐慌の状態を、現在のアメリカ合衆国が抱えているわけではないです。経済的な困難を抱えているのは事実ですが。世界中でそうですよ。戦時下なので。ですが、欧州でナチスのような政党の積極的な台頭はみられません。極右思想とナチスの思想は同じではないと思います。現代において国家が一つの手段という妄言は通用しませんし。

「大戦前夜のような気がする」という気分が「1930年代」という記号に安易に飛びつかせるという。

喩の貧困というのは、それだけ危機的な状況に直面しているのかもしれません。

喩って知的な作業になるので。

学生の時には週末の新聞の書評に目を通すということをなんとなくやっていました。2020年代が近づくと、残念ですが、新聞書評のレベルの回復というのが困難になっていくんですね。出版される書籍の内容にばらつきが出てきますし、書評のレトリックにもばらつきが出てきます。

何が言いたいかというと、自然科学、人文科学問わずに基本的な思考力の落ち込みが取り戻せなくなっていった2010~2020年代なんだと思うんです。

書評をする側の諦めというのを感じるときもありましたし。

喩そのものが知性の貧困さを露呈しており、その喩はある一定の知識層のなかで密かに共有をされていて、冷静な分析もなしに、雰囲気だけ蔓延しているという状況が、仮にあった場合は、ぞっとしますよ。

断言の後の、理由説明というのが知識人の基本的姿勢から失われている現実というのは、空恐ろしいです。

歴史というのは基本的には不可逆ですし。

「似ている」という印象だけが根拠になっていたらと考えると、怖いですよね。

第二次世界大戦までは、戦争は経済の刺激策の役割がある側面があったんです。同時に、それは第二次世界大戦で終わってしまった考え方でもありますが。アメリカ合衆国のアジア進行の歴史が証明するように、20世紀にはいると戦争というのは経済不況をもたらす要因としての側面が強くなるんですね。世界の経済がそれだけ緊密化していくからでもあるんですが。

長期化すると戦争というのは当事国の経済を間違いなく疲弊させていきます。

例えば、とある国の状態が、別の国の状態に似ることすらないんです。国ごとに政体は異なりますし、法整備も異なりますし、経済の在り方も異なれば、行政や医療の在り方も異なります。言葉も違いますし。国民性も異なります。

例えば、わたしが日本とイングランドに近似性を見出すことはないんです。

別の国だからです。

報道などに触れていても、別の文化圏だなと思うことのほうが正直多いんです。

大学人の発言が非常に不用意になっているということになるのでしょうか?

研究レベルの劣化は日本だけではないんだと思いますが。

あの時は、本当に背筋が凍る思いをしました。

大学の先生がおっしゃっているからということで鵜呑みにしてしまうひとたちはきっといるのでしょうし。迂闊どころの話ではないですよね。怖いですよ。根拠がないということは、フェイクとの近似になります。あの時はさすがに気持ちが重くなりましたね。

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