毎日のちいさな幸せを。

あなたは、どんなときに幸せを感じますか?ちいさな幸せでいいんですよ。どんなときでしょうか?

私の場合は、自然な笑顔になれたときです。笑顔にもたくさん種類はありますから。

でも、自然な笑顔がふっと自分の表情に現れたときに、あ、ちいさな幸せだーと感じます。

近所迷惑にならないのであれば、季節外れのちいさな花火大会をしてもいいと思っています。

花火を持つと、どうして振り回したくなるんでしょうか?ただ、持っている花火をみつめるだけだと、すぐに終わってしまうので、余計な楽しみ方をしようとして、振り回してしまうのかもしれません。

花火を持った腕を大きく振り回す頃は過ぎたとしても、案外、手首を動かしていたりしますよね。

思いつきでいいんだと思うんです。

なにか、普段と違うことを取り入れてみるのも案外楽しいですよ。

個人的に、最近感じた幸せは、お掃除のときです。お部屋のなかで何がどこにあるか、余分なものはどれくらいあって、その処理の時間にどれだけ費やしているか思い出したり、もう少しだけ時間をおいてみようとか、主体的に判断をしているときに、ちいさな幸せを感じます。

自分の持ち物をきちんと把握しておくってとても大事なことですし、いざとなったときに、定位置に置いてあると、本当にわかりやすいのです。

新しい持ち物が増えることもあれば、長い間愛用したものとの別れもあります。

地味に繰り返していると、自分のサイズ感覚がわかるんですよ。これくらいのサイズ感で、生きていけるんだーとか。

最近、たまに「自分軸」や「他人軸」といった造語を見かけたりもしますが。

他人に迷惑かけない程度で、自分がちいさく幸せであれば、それでいいような気もします。

他人が、とても深く、わたしのことを24時間考え続けるなんてことは、まずありえないですし。逆もまた然りです。

要するに、自分が思うほど、他人はあなたを気にかけていないというのが事実だったりします。ヒトとヒトの関わり方なんて、そんなものです。

他人の気持ちは他人のもので、あなたの気持ちはあなたのもので、わたしの気持ちはわたしのものなんです。

そこを第3者間ですり合わせようとすると、当然ですが、そこはもう解釈の余地なのです。他人の気持ちに責任感感じなくてもいいと、個人的には思います。

日本は概して、無意味な社会性というのを大事にしようとしますが(会社でサービス残業する義務だったり、上司のお小言を延々聞かされる義務だったり、そんなものは「社会」としては幼稚なんです)。

コロナ禍のおかげで、多少なりとも、日本の社会そのものが、既存の軸で測れなくなっていっているようにも思えます。

ひとつのアイディア(考え方)に縛られすぎると、ちいさくストレスが溜まっていきます。

そういうのを少しどこかに逃がすような別のアイディア(視点)を自分のなかに作ることが大事なのかもしれません。

あなたやわたしの笑顔を守るのは、他の誰でもなく、あなたやわたしになるんです。他人が、守ってくれるわけでは、どうもないみたいです。

いろんな分野の自己啓発本と私が無縁なのは哲学が好きだからなんだと思います。社会学とか心理学とか学としての歴史が浅いものにはなぜかそれほど惹かれないのです。社会学も心理学も深く知ろうとすると、きわめて重要な視点に出会うこともありますが。ただ、いつも出会えるわけではないんですよ。自己啓発本を読むだけで頑張れるというひとはそれでいいと思っていますよ、もちろん。私は本を読みすぎているので、自己啓発本程度では、新しい視点なんて得られないんです。たとえば、独自の人智学を展開するシュタイナーの著作を直接読むのはいいのですが、それをだいぶ希釈してしまった方法論には興味は一切ないのです。教育者の側面もあるのでシュタイナー教育論みたいになると、えーと、シュタイナー自身はそこまでは著作で言及してないですよという独自アイディアもあるので、それはもうひとそれぞれになるんだなぁーと思います。シュタイナーが「進化論」と述べるとき、ダーウィンの「進化論」とは別物であるくらいの認識はありますよ。中身も自分でかみ砕いていないのに、名前だけで、すごいですねぇーなんて、思ったりは全くしないのです。肩書なんてねぇーという教育を受け続けると、そんな風になります。鹿島のサポーターですが、優勝がちゃんと射程に入る試合を続けていないと、何で?ってなりますもの。名前があってもいいんですが、中身が伴っていないものがあんまり好きじゃないのかもしれません。中身がきちんと伴っていて、中身の違いもきちんとわかる状態までもっていくというのが常識という場で育ったからかもしれません。シュタイナーは単に一例として挙げただけですよ。カントに言及するときにはもうちょっと勉強してから言及しないと齟齬が出ると読書中に思ってしまうんです。いろんな哲学者がいますよ。シュタイナーが行きつくのは現代だとオカルトになるんですが。そこに行きつく道筋はきちんと書いてありますからね。気分転換にはちょうどいいです。

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