ビザンツの船首の先。

Webでビザンツ帝国についていろいろ読んでいたんです。世界史の授業を受けたはずなのに、本格的な歴史の記述なんて、未知なる知識の倉庫(宝庫ではなく)だなと思って読んでいたんです。

倉庫のなかって薄暗くって何があるのかわからないじゃないですか?そこにあるのは宝物なんだろうか?って。

知識の倉庫のなかを漂うように読んでいると、不思議な記述があるんです。

”Greek fire”という火器なんです。ギリシャ火と翻訳するそうなんですが。

海上の戦いで有益な火器として有名なんですって。

そして、その実態がよくわからないんです。Wikipediaにも記載があるんですが。うーんと悩むんですね。

様々な知識の倉庫を探して読んでいると、ギリシャ語を介するシリア難民である「ヘリオポリスのカリニコス」が西暦668年ごろに発明したのではないかという説があり。当時のビザンツ帝国はウマイヤ朝からの執拗な攻撃を受けていて、海上における戦いを優位に進めるための兵器を実際に必要としていたそうです。歴史の文献を読んでいても思うんですが、古代のローマ(当時分裂してますが)はいつもムスリム圏に脅かされている印象もあります。そんなことを言い出したら、神聖ローマ帝国のウィーンなんてどうするんだという話になりますが。

ムスリム圏から歴史が書き換えられるときっとまるっきり違う視点になるのかもしれず。将来の、それでも歴史に埋もれた当時のムスリム圏のみなさんの視点はどうなるのか読んでみたいですね。

実は紀元前1世紀にあったミトリダテス戦争において、ポントス王国がローマ人への攻撃で似たような火器を使用していたそうです。

カリニコスが当時一般的だった火器をより強力な武器に洗練させたという記述をいくつか見つけたんです。

原材料は実はナフサだったという研究もあるそうです。

なんてこったいです。

記録ではムスリム圏からのコンスタンティノープルへの直接の攻撃に対して「ギリシャ火」が使われたという記録があるそうなんですが。記録があっても正確な年代がわからないという。

それほどまでに火器として有効だったので「ギリシャ火」の詳細な情報はどうやらビザンツでは機密扱いされることになり。

実際に、959年から963年まで在位したビザンツ皇帝ロマノス2世は次の3つは敵に渡してはダメと宣言を出していたそうです。

ひとつは、「ビザンツの宝物」。ひとつは、「王女たち」。最後に、「ギリシャ火」なんだそうです。

また、古代の世界では火器の使用や製造というのは一般的で、もっと古い記録だと、紀元前9世紀にはアッシリアに、ユリウス・アフリカヌスが製造の記録を残しているそうなんです。

記録によると、「硫黄と岩塩と粘着性の接着剤(あるいは糊)、雷石、黄鉄鉱、そして細かくすりつぶした鉱物、それぞれ同じ量を、真昼の日の下で乳鉢ですりつぶす。また、各材料を同じ量、桑の実の樹脂、瀝青と混ぜ合わせ、液状にするとすすのような色になる。このすす状の半固体に少量の生石灰を混ぜ合わせる」のだそうです。

これが火薬になるそうで、種類によっては手りゅう弾のように投げられたりもしたそうです。

それでも、洗練された火器であるギリシャ火の正体は未知で正確な記述が皆無で、どういう火器だったのかいまだにわかっていないそうです。

とにかく火薬の調合を頑張って(実は、火薬なのかもわからない側面があるんですよ。液状だったかもしれないそうなんです。液状の燃えやすい化合物になるのでしょうか?)、いろんな武器を作り上げて、ビザンツ帝国を守っていたことは確かだそうです。

Wikipediaに絵があるんですが。おそらく、船の船首の先から敵の船にむけて火器を噴射している様子をえがいているみたいでもあり。

いろんな応用があるんでしょうが。

それでも原料がナフサというのはどうなんでしょうね。古代に原油の蒸留分離の技術なんてあったんでしょうか?

謎が謎を呼ぶ、ギリシャ火なんですよ。

古代ローマにおける火薬の歴史って案外古いんですね。

驚きました。

世界の様々な地域で火薬が製造されて、武器として使用されていたんでしょうね。ユーラシア大陸にあれば、どのみち広がっていくのでしょうし。それにしても無知でした。

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