レオナルド・ダ・ヴィンチは1452年にイタリヤのアルバーノ山の麓にあるヴィンチという小さな町で、公証人をしていた父親の私生児として誕生し、父方に引き取られて育ったそうです。少年期のことはよくわかっておらず、存在が知られるのはフィレンツェのヴェロッキオの工房に入門をしてから。
最初は掃除からはじめて段々と絵の具を混ぜる仕事を任されたり、絵画の制作に携われるように修行の日々を送ったそうです。
フィレンツェにあるウフィツィ美術館所蔵のヴェロッキオの『キリストの洗礼』の天使のうちのひとつを徒弟時代に任されて手がけたとされます。
逸話が残っていて。
ダ・ヴィンチの描いた天使は師匠のヴェロッキオを驚愕させて、筆を折らせたという逸話です。本当かどうかわからないんですが。

わたしたちはどのようにレオナルド・ダ・ヴィンチの独創性について考えればいいんでしょうか?
よくよく考えるとむつかしいですよね。
後にルドヴィコ・スフォルツァ公の後見を得るんですが。
レオナルド・ダ・ヴィンチは建築から土木工事からたくさんの提案をし続けたそうです。最終的には都市計画にもとりかかり、ミラノ市全体を再構築しようと構想を練りだすそうなんです。下水システムはほぼ完ぺきだったそうですよ。パトロンであるスフォルツァ公は15世紀の末には支配権の維持に苦慮していて、ダヴィンチが提示したアイディアには興味も抱かなかったようですが。ミラノがフランス国王ルイ12世に攻略を受けると、ダヴィンチの運命は暗転して、そこから隠遁生活も同然になるんです。
レオ10世が新教皇になるころには、複数の未完成作品と『最後の晩餐』という失敗作を抱えた過去にひとという扱いになり。
実は華々しい活躍からはちょっと距離があるみたいなんです。
そして、レオナルド・ダ・ヴィンチの評価自体もかなり遅れた事実があるそうなんです。
独創性にあふれている筆致は、なかなか評価に直結しなかったんだそうです。
評価が安定して、天才としての業績が集積されて、それらがいろんな専門家の手でまとまり、わかりやすく提示されるようになって、わたしたちはやっとその独創性に気付くのでしょうか?
案外、そんなこともないんですよ。
とある絵画をイングランドで観たんですね。ダ・ヴィンチの筆はほとんど残っていないそうですが。そう説明書きに書いてあったんです。
それでも優れているのが圧倒的にわかるんですよ。
圧倒的な力を本物の絵画というのは、もっています。
そんなものなんですよ。
そういう側面もあるんです。
みているひとたちのこころを直接揺さぶるんです。
チェチリア・ガレラーニの肖像画の知識もなく、彼女がルドヴィコ・スフォルファの愛人であることも、白テンがルドヴィコの紋章のひとつである知識も、某物を表すギリシャ語の「ガレン」という言葉がチェチリアの姓と音が同じである知識がなくても、優れた絵画であることはわかるんだと思います。意匠の意味が読み解けたほうが理解が深まるのは事実ですよ。