楽器の先鋭と時代のめぐり合わせ。

あの有名なSun Recordsが輩出した音楽家は数多いのですが、”King of Rocabilly”の名称で知られるのは、Carl Perkinsさんです。

1932年にテネシー州のティプトンヴィルにお生まれでご実家は小作農だったそうです。そうなんですよ。アメリカ合衆国の白人層が皆さん豊かな暮らしを約束されていたわけではないんですよ。子供の頃にはご兄弟と綿花を栽培する畑で綿花をつんでらっしゃったそうです。アフリカ大陸にルーツを持つみなさんと一緒に働くので、労働歌にも触れることができ、教会に行くとゴスペルを聴くこともできるので、音楽には大変恵まれておいでだったそうです。

ラジオを熱心にお聴きになっていた子供時代だったそうで。ギターをご両親にねだったこともあったそうです。ギターを買う余裕がないご両親はいろんな工夫をしてギターを作って差し上げたり、そうこうするうちにご近所の方が古いギターを譲ってくださったりしたそうです。それでもギターの弦が高価なのでいろいろと工夫のしどころもあったそうなんですよ。ギターを手にしたPerkinsさんは、白人の音楽と黒人の音楽が入り混じる、まさにその現場で音楽を吸収なさったそうです。

1957年のライヴです。Perkinsさんは”Dixie Fried”という楽曲を演奏なさっていますが。ベースはコントラバスです。おそらく、クラシック音楽のベースがあるはずなんです。アメリカ合衆国は新大陸ですが、きちんとした場所ではクラシック音楽が演奏されていたはずです。

Ball roomで最初に演奏されたのは、クラシック音楽でしょうし、新大陸なのでワルツの可能性が高いはずです。19世紀のアメリカ合衆国では、欧州でも人気を博した”the Ländler”というドイツ発祥のワルツが好まれたそうなんです。いろんなバリエーションがあり、男女で踊るために、不品行だという理由でカリフォルニアでは宣教師によって”Closed”と呼称されるポジションが1834年以降に禁止の憂き目にあったりもしています。

そして、クラシック音楽の周縁では、リズム・アンド・ブルースの誕生を陰ながら準備する役割をするジャズの音楽が演奏されていたんです。

リズム・アンド・ブルースを準備するまで、コントラバスは延々といろんな音楽ジャンルに転用されて大活躍なんです。

1957年でも大活躍みたいですよね。

それでも、実はエレクトリックベースギターは、すでに、1957年には商品化されていたそうなんです。フェンダーのかの有名なthe “Precision Bass”は1951年に量産化されています。

実はフェンダー社のベースを先取りする最初期のベースがあるんです。

ワシントン州の商務省のページになります。

Leo Fender’s claim is “bassless” – the electric bass was invented in Seattle.

Paul Tutmarcさんは、1896年にミネソタ州のミネアポリスにお生まれになります。子供のころには聖歌隊で歌ってらっしゃったそうです。また、ギターやバンジョーにも親しみ、ハワイアンスタイルのアコースティックのスティールギターを演奏なさったりしたそうです。つまり、アンプにつながない膝の上において引く、片方の手の指にスティールバーをつけて弦をおさえて、もう片方の手で弦のはじく奏法のギターなんだと思います。

ヴォードヴィルのショーにも参加なさり旅をなさったそうです。

20代でシアトルの湾岸のほうに引っ越しをなさり、1920年代にはテナーボイスを生かしラジオや劇場で活躍なさっておられたそうです。1930年代にはギターの講師の傍らで、ピアノや南ドイツ、オーストリア発祥のツィターという楽器やスペイン風のギターを電動化しようと、つまり、アンプをつなげようと実験を繰り返していたそうです。

アメリカ合衆国にはいろんなひとがいますよね。

どうやら電話の仕組みに刺激を受けたんだそうです。電話の回路は音声信号を電子信号にして送受信をするでしょ?

Tutmarcさんは大きな馬の蹄鉄の形をした磁石に、銅線を巻き付けた鉄の刃を取り付けたそうです。スペイン風ギターの中にそれを取り付けて、ラジオにプラグで接続をしたんだそうです。スペイン風ギターの音をその馬蹄形の磁石のような装置で拾い、プラグで繋げたラジオに伝えて増幅したんでしょうか?お友達と頑張ったそうです。イメージがいまいち掴みにくいのですが。Tutmarcさんはお友達と確信を得たそうです。ただし、残念なことに、相談をした弁護士に、同種の装置については電話会社が特許を保有しているので、Tutmarkさんとお友達が考案した設計は特許申請はむつかしいと助言を受けたそうです。

それでも、Tutmarcさんは諦めなかったんですね。

1934年にthe Audiovox Manufacturing Companyというアコースティックではなく、電子音のスティールギターやほかの楽器を製造するための会社を立ち上げるんです。

詳しくは英語ですが、こちらをどうそ。

World’s First Bass Guitar, world record in Seattle, Washington

アンプも作れば、スティールギターも作れば、最初期の電子のベースも作ってしまうんです。

Tutmarcさんと当時扱われていた楽器です。Tutmarcさんの右隣のある楽器が最初期の電子のBassになります。

フェンダーとは一線を画す形なんです。

Carl Perkinsさんの1957年の演奏ではまったく使われていません。どうやら、そこまで売れなかったみたいなんです。

現在では美術館や愛好家の所蔵になっています。

せっかく製造したのに。

リンクを貼っておきますが。

On eBay: the world’s first electric bass guitar, made in Seattle — and forgotten | The Seattle Times

The Seatole Timesの記事のなかで、整備されたTutmarcさんが製造したthe Audiovox 736 Electric Bass guitarの音色を聞くことができます。

1935年に発売されたんですが、なぜか普及がむつかしかったんです。Tutmarcさんはバンドの演奏が終わり、三々五々帰宅するときにベースの移動が大変なのを知っていて、最初期のこのbassを発明したそうなんです。大きなベースではなく、腕に抱えて運べる”an electric bull-fiddle”を発明したそうなんです。この”bull”というのは、中世の長柄の鉾の意味もありますし、ながい鳥のくちばしの意味もあります。”bull-fiddle”なのでネックの長いフィドルのようなベースという意味に介することができます。

そして、覚えておられるでしょうか、読んでらっしゃる皆さん。

1930年代のアメリカ合衆国です。ジャズ全盛です。東海岸から五大湖周辺まで流行っている音楽は”boogie Woogie”です。人数が多いバンド編成で、エレクトリックベースギターが入り込む余地は果たしてあったのでしょうか?

1935年のビルボードの一位はFred Astairさんの”Isle Of Capri”だったりもします。

東海岸ではジャズを背景にしながら、南部の音楽であるブルースが南部出身の音楽家によって広まっていく最中です。

ビルボートのチャートに”Race Records”のチャートが生まれるのは1940年代です。

むつかしいんです。

約20年くらいの期間に、アメリカ合衆国の全国区のラジオ局で表立って聴かれる音楽と地域地域のラジオ局で聴かれる音楽の質の間にかなりの乖離が起こるんです。

アメリカ合衆国の様々なジャンルの音楽の集積で作られるロカビリーなんですが。

1935年にはまだ、アメリカ合衆国のミシシッピーデルタにはその萌芽はないんです。

Sun Recordsの立役者になる音楽家のみなさんは、まだ子供だったり、生まれたばかりなんです。

Elvis Aron Presleyさんは1935年の1月8日にお生まれなんです。

むつかしいんです。

なんて残念なことだったんだろうって思います。ちなみにフェンダー社で有名なレオ・フェンダーさんはラジオの修理工からはじまったんです。カリフォルニア州でラジオ修理店「フェンダー・ラジオ・サービス」をはじめると、音楽家が修理をお願いしますと楽器をもって集まったんだそうです。どうしてプレシジション・ベースを手掛けたかというと、ダブルベースではほかの楽器に対して音量で太刀打ちができなくなるからなんです。運ぶのも大変ですしね。Tutmarcさんの視点は正しかったんです。フェンダーさんが量産化を手掛けようと思った時にはロックンロールは成立していて、Tutmarcさんがエレクトリックベースギターを売り出した時には、時代の音楽はジャズだったんです。

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