自分の笑顔は自分で守るんです。日本の精神医療は守ってくれません。

昨年、半ば興味本位でランダムに精神科医と名乗っているtwitterのアカウントを読んでいました。開業医もいれば、まだ開業にこぎつけない精神科医もいれば、研究医もいます。

理由は日本の精神医療の本音を知りたかったからです。

書かれる言葉というのは、実は本当に嘘をつきません。私は、日本語と英語によって書かれた文章を詳細に解読することに関しては、実は専門です。

タフな文学の専門に心理や日本の精神医療程度が勝てるわけはないんです。文章の読み込みに関しては。強度のレベルが全く異なるからです。

フロイト以後、さまざまな精神医療が多種多様にその枝葉を広げて患者を救うんじゃなくって(救っている良心的な医者は、Twitterアカウントなんて作りませんよ。実務で頑張るわけですから。中途半端な功名心をもった精神科医のみがTwitterのアカウントを作ります。一部研究医をのぞいて)、患者の数をいかに増やそうかと腐心しているのがよく分かったんです。

患者が治ることを医療の目的としてないケースが、日本では多すぎるのです。おそらく日本の精神医療だけが抱える闇です。

実は世界的に心理や精神医療が患者を作り出そうと腐心するときも知っています。ICD(疾病及び関連保健問題の国際統計分類)が心理の疾病の分類を再編するときがあるんです。ICDは主に欧州で使われる心理の分類の指標なのですが、この改変期にあたる時期があったので、Twitterを英語にして調べていたら、もう政治的以外の何物でもない動きがたーくさん見られたのです。

コロナ禍という厳しい状況にもあるので、ひとの心もそれ以前の状態を保つのがむつかしいケースももちろんあります。そこに欧州の精神医療が政治的に乗っかってくるんです。Covid-19の災禍に見舞われた人々を襲った辛さを救うためなのかどうか、正直怪しいなと思いました。

BBCがかなり意図的に宣伝を仕掛けようとしていましたが。Covid-19の災禍のなかで、世界の精神医療の疾病分類が作られるのを先走っている研究機関がイギリスにあり、商機を求めて宣伝を打っているのがよくわかるんです。

そういう政治的な動きをする研究者の群れが、まず行うべきことで事実上避けている事象があります。

「健康という状態をどう定義するのか」という問題になります。世界の精神医療が一番不得手な概念になります。そして、世界の精神医療が一番それに対して姿勢がへたれになる概念もあります。

ちなみに、心理学上だとひとは洩れなくなにがしかの病を抱えることになります。それが心理学のスティグマになるからです。

「お金を生み出せるかどうかが、そのひとの精神疾患と健康を分ける指標」というのは、世界の精神医療が抱える不都合な真実なのです。お金持ちが心理や精神医療に対して、自分には精神疾患があるとお墨付きをもらう場合はアメリカではあります。訴訟を起こされたときに逃げ場をつくるためです。同時に社会的にその病気の罹患者への支援も行っていますという姿勢もとります。日本の精神医療はその狡猾さには目をつぶり、宣伝材料として使ったりしています。どちらも如才がありません。

2000年代に臨床医が不必要な数増えたとしたら、今後必要な数になるまで、淘汰はされていくだろうと思います。Covid-19は、ひとの働き方について、ある程度根本的に見直さざるを得ない契機を社会にもたらしてしまっているからです。

医療控えが実質続いていても、日本人はある程度心身の健康を保てています。

心理や精神医療の出番が減っていく可能性があるかもしれないというタイミングで、Twitterで「精神科医」を名乗って、つぶやいている医師の数は増えているような気もします。Covid-19の感染爆発の手前の数年間で、Social Mediaの多孔化に伴う法整備が遅れていた数年間の間に「精神科医」を名乗って、つぶやいている医師の数が増えているのは事実だと思います。

その言葉で誰かが救われたならという程度で収まっているのであれば、まだ良識的ですが。大抵の医師は内容の薄っぺらい本を書いて(10年後に読まれていない確率はかなり高そうですよね)商売をしたいという功名心だけです。

そのような精神科医の医師がその「承認欲求」を満たすのは、世間的認知と自著の購買と、講演会などの発表の場所になります。研究医でない場合は。良識的な心理や精神医療の場合は何が業績かを見極めるのでそんな短絡的なことは手段として選ばないんですよ。特に日本の心理や精神医療の臨床医は患者の鏡でしかないので、本当に日本の心理や精神医療って変な状況で「鏡像現象」が起こるんですよ。傍で観察していても奇妙だなと思います。

端的にいえば、心理や精神医療の実存を担保しているのは、実在するのか怪しい、その分類疾病になります。なぜ実在させるのかというと、実在させないと「社会構造」に不安定材料が懸念されるからです。経済を生み出す基幹の部分で、実は疾病は分類されているんです。

欧州(というか世界)の分類のやり方は、そうです。

日本の心理や精神医療の問題点は次になります。欧米の概念をただうのみにしているだけで、日本で疾病として分類を発生させたときに、どのようにその疾病が日本の社会構造に落とし込まれるのかの視座に乏しいという点です。特に日本の場合は、着地点なしに日本固有の疾病として出発だけさせるので、語義に矛盾を生み、社会的弊害を生みやすいのかもしれません。まぁ、科研費得るのに必死なだけなのでしょうが。

「言葉」だけが独り歩きをしてしまい、「名づけ」の段階で日本社会の構造部分に落とし込んだ時にどのようになるのか、そして、落とし込んだうえで「日本人の健康」の担保をどうするのかという構造論になると途端に機能不全になるのです。

昨年の10月に最高裁の判断があったそうです。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20211020/k10013315751000.html

早速、この日「精神科医」と名乗りを上げているTwitterアカウントのコメントだけ注視してみていました。8割方のアカウントがニュアンスとしても「唾棄すべき判決」として受け止めている様子がみて取れました。おそらく、受けてきた教育を全否定された心象があったのかもしれません。私の場合、実は入院という経験については、内臓疾患も、ひどい外傷を負ったこともないので、ほとんどありません。なので、実際の風景がわからないのです。ただし、欧州やアメリカに比べてもかなり劣悪な環境なのは、小説でも読みましたし、関連研究のような著作でも読んだことはあります。日本の心理や精神医療の場合、立ち向かう相手が症例の数が減ってきている統合失調症の患者になり、その患者にどうやって薬を与えるか、つまり、いかに薬漬けにするかが課題になるのです。日本の心理や精神医療の基本姿勢がTwitterの文章に一挙に浮上していました。

流行りの疾患もさまざまなのでしょうが、基本的には心理の根幹は統合失調症を基本としながらヴァリエーションを作っていくようです。また、日本の場合はアメリカの指標(DSM)を容易く歪曲して診断を下します。YouTubeで心理や精神医療の研究医や臨床医がchannelを作って紹介していますが、実際にDSMの分類そのものを捻じ曲げて解釈している例も散見されます。アメリカの指標を日本に接ぎ木しているので、何やっても赦されるという免罪符をもっていると勘違いしているようです。開業医の場合はレヴェルが伴わないとして大目に見られてしまうのかもしれませんが。本来ならば、DSMは基本的にどの医師でも診断を間違えないように分類をおこなっているので、その分類を歪曲して解釈して診断を下すということは、すなわち誤診につながる可能性は低くはないのです。先ほど述べたように、アメリカ人専用の分類を日本人に対して敷衍しているという言い訳の上に患者の分類が成り立っているという不可思議な構造を日本の精神医療は構築しているからです。アメリカの西海岸の診断と東海岸の診断基準が違うということはありません。日本の場合は、施術をする精神科医の手腕によって、病名は容易く変わるのが事実です。

最高裁という場所は、それまでの裁判の過程を検討しながら、国としての指針や判断を示す最高機関でもあるので、おそらく、諸外国の入院制度と比較検討しても、妥当な判断として結審したのだと思います。

そして、その判断に悲鳴をあげているのが、公益財団法人 日本精神科病院協会というところなのだそうです。で、そこがどんな社会的な貢献を頑張ろうとしているのか調べても、どうなのかなというものしか出てきません。

最新のものでこれです。

https://www.nisseikyo.or.jp/news/jimukyoku/detail.php?@DB_ID@=542

日本の精神医療や心理が診療に用いる最大の武器は「言葉」になります。ヒトはコミュニケーションをとりあうので、そこに齟齬が生じたとき、それがひどく夥しい状況になったときに心理及び精神医療の出番がやってくるはずなのです。なのに、ベトナムから実習生を受け入れているそうです。しかも外国人スタッフという呼称ということは、医師免許の取得を目的としていないことが垣間見られます。

最高裁が判決を下すのもわからなくもないなーと思います。

Twitterで「精神科医」を名乗っている精神医療については臨床医だろうが研究医だろうが信用しません。理由ははっきりとした功名心が見て取れるからです。寄生先は患者ですからね。患者を減らそうと頑張っていますっとメッセージを掲げているアカウントはないです。日本の精神医療ならではのいいことつぶやくから、褒めてー、褒めてー、私のこと褒めてーというしょうもない医者しかいません。Twitterの文面をそのまま英語に翻訳すると、ほぼ命令形の文章がならぶのです。Twitterを使って臨床医が未知の患者に命令を下すという倒錯ぶりが、日本の精神医療の現在地なのです。他人に命令をするというのは心理及び日本の精神医療の本分ではないのに、それだけはき違えている臨床医が増えているという日本の心理及び精神医療の実態が透けて見えました。健康を保とうとする皆さんは、心理及び精神医療の現場には近づかないようにしましょう。理由はTwitterで「精神科医」を名乗っている心理及び精神医療のほぼ100%が患者の快癒を望んでおらず、患者は患者のままでい続けてほしいと願っていることが言葉の節々から読み取ることができ、尚且つ、患者に対して、流行りの言葉を使うと「マウントを取る」姿勢に変更がないからです。自分の優位性の確保の手段として使っているのが明白なので、医療従事者としての技量としては疑問符がつきます。優れた心理及び精神科の現場ほど、病弊の概念に取り込まれ、辛い思いをするはずなので、こんな薄っぺらい医者になんて絶対に嫌だという集団にしかみえません。本当に白衣を着ているだけで、その白衣に守られているだけ「優位性を補完しようと必死な姿勢」の拙い集団なのかもしれません。心理及び精神医療としての優位性は実社会ではそれほど認知はされません。なので、Twitterを運用して、患者に対して「マウントを取り」、自分の承認欲求を満たしているだけです。浅はかです。そんな人たちとは出会わないようにしましょう。不幸にして出会ってしまった場合は、実務経験のしっかりした心理及び精神科に主治医を変更するべきです。また、経済面をふくめた実生活の苦しさを抱え込んで、間違った心理及び精神科を受診してしまうと、心理及び精神科が実利的に商売にしている施設への入居を迫られることもあるそうです。患者を集団で住まわせて、業者が仲介にはいり、労働を斡旋するのです。「障碍者」のレッテル張りのもと、低賃金で質の悪い労働環境しか与えられず、社会から取り残されているひとたちが実際にいるんです。背後にいるのは心理及び精神医療です。日本の心理及び精神医療は実質的な行政との連携は取れていないケースが殆どになります。心理や精神医療の現場に痛んだ心を持ち込もうとするまえに、行政に痛んだ心を持ち込みましょう。行政によってはケアをしてくれる場合はあります。心理や精神医療に行くよりもきちんと助けの手を差し伸べてくれる可能性はあります。ただし、心理や精神医療と同等の酷い扱いを受けることもあるので、そこは覚悟しておきましょう。日本の行政にセーフティーネットの基本概念は存在しません。また、大学の研究医で(筑波大です)、心理が患者に対して蔑称として用いる「プシコ」(日本の心理のみで通用するジャーゴンです)を見かけたときには、学究としての日本の精神医療の末期を見たような気がしました。

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