自分で本を選ぶこともありますが。学生の時には先生から読むといいよと勧めていただくこともありました。
この本読んだ?たぶん、好みの本だと思うよといわれるのです。複数形の先生が私にはいて、実は私よりも私に詳しいんですね。なぜだろう?と思うのですが。それが先生というものなのかもしれません。
購入して読むと、案の定夢中になり、読後に読んでよかったと心からそう思ったりします。
そして、その本がもう売っていません。何度目かになりますが、毎回小さくショックを受けています。

井上究一郎先生はフランス文学者でプルーストの翻訳でとても有名な先生です。その井上先生がまだプルーストの翻訳を手掛ける前に、まだ大学にいらっしゃった折に書かれた本が文庫になったのを、学校の先生が勧めてくださったんです。『失われた時を求めて』よりも小品のプルーストの方が好みなのですが。それも井上先生の翻訳で読みました。
だって以前住んでいた土地にはたくさんの図書館があったからです。わざわざ借りて読みはしなかったんですが、いろんな図書館に出かけて行って延々と本を読むこともありました。
私の読んだ本は『ガリマールの家ーある物語風のクロニクル』という本です。

パリには高名な出版社があり、そのひとつを手掛けたのがガリマール氏です。プルーストが『失われた時を求めて』を自費出版して、それを読んだガリマール氏は慌てて版権を買うんです。実はそれ以前に既にガリマール氏はプルーストと知己があるんですが。とても大変だったそうです。自費出版された本の背表紙を全部外して、自社の背表紙をつけて売りなおしたのだそうです。初版本を。版権を買われた先は更に奥の手を出したそうですが。そんな初版本を、もしかすると井上先生は手になさっておられたかもしれないのです。
文庫になるまでに相当に時間がかかったみたいで。解説が蓮實先生なんです。蓮實先生しか引き受け手がいなかったんだと思うんです。先生によると1ドルが360円だった時代なんだそうです。1フランいくらなんだろうと思うんですが。井上先生の筆致は確かで、あとがきで読者に謝辞を捧げているんです。編集にかかわった方や本の上梓にかかわった方の後に、最初に「作者がどういう方か何も知りませんが、この文章には素朴な語り口のうちに、流れる時間、自然の美しさが、自分でみたものだけがもつ、ある確かさで描かれております、実はもっとくわしく、もっと長く読みたかったという気がしてなりません」と編集部に感想を送った読者の方にです。

この本を読みながら、「素朴な語り口」として読むことが出来ない自分を恥じなければいけないのかもしれない、でも、井上先生の筆致を「素朴な語り口」という表現なんて私には出来ないと思いながら、再読のたびに自分の至らなさを恥じるのです。
アマゾンでもう一冊買っておこうと調べたら、古書扱いになっていて、高値になっていたんです。文庫なのに。
文庫本が流通して私がいまになって文庫が欲しいと思った間に、日本のあらゆる出版社の編集者の読書量が落ちて、本が読めなくなっているんだと思います。
編集者に能力があれば、この本は再版になっているはずですから。
正直、情けない気持ちが先に立ちます。
井上先生のこの本が素晴らしいのは、エッセイと小説の間のような時空がずーっと続いていく点にあります。通低音はネルヴァルとプルーストになります。フランスの特にパリの冬の孤独というのはいろんな本で読んだんですが。井上先生のこの本にはそれがないのです。パリの冬の孤独は、パリで過ごす皆さんの慎み深さに繋がっていて。読むたびにほっとします。ちくま文庫も落ちたものだなと思います。正直な感想です。