たまにTVを観ると、なんで、こんなにも、けたたましいものを観ていたんだろうと不思議な気持ちになります。

みんな笑ろうてるけど、笑うとこ、どこ?とか。正直、うるさいねんけど、とか。また、他人下げて笑ろうてるわ、えげつないなーとか。
気が散ってしかたがないんです。
実際に起こっている戦争があり、それをゲーム感覚で攻略戦分析みたいなことやってて、楽しい?とか。
他人の気持ちがわからない、そんなひとたちで番組成立するの?とか悩むんですよ。
習慣を無くしてよかったなぁーと思っています。
映画に関しては、Netflixは観ない派なんです。理由はあって。

作品によってはDVD化されるものもあるそうなんですが。それはアメリカの話で、日本ではどうなんだって思うんです。調べても違法ダウンロードのやり方が出てきたり。
映画って、そもそもは映画館で上映されて、映画館で楽しむもので、コロナ禍が終わりを告げるいま、今後の映画産業はどうなるんだろうと思うんです。
日本では今年529作品の映画が上映されるそうなんですが。そのうち、私が観たい作品があるのだろうかとか、悩むんですよ。
かなり古い映画だと版権が切れていて、YouTube.comで観ることが出来る現在なんです。
どうなんだろうなーって、悩んだまま、Netflixは観ないことにしています。もちろん、Netflixで観ることができる観たい作品もありますが。Netflixは、ソフト化を基本的にしないので、映画に対する姿勢としてはどうなのかなと悩むんです。
上映された映像作品で、日本でこの映画は永遠にDVDにもBlurayにもならないんだという映画もあるのを知っているからです。悩みは更に深くなります。
TVを観ない習慣のおかげで、考える時間が増えたんですよ。

YouTube.comは暇を潰すには、むつかしいコンテンツになりますし。SNSも用途限定していて、用途は主に検索用なんです。
TVを観ないということを習慣化しただけで、いろんな物事を正面から考える姿勢がついたなぁーと思います。
3本くらいDVDもblurayも持っているTom Stoppard さんのRosencrantz and Gildenstern are dead は日本でBlurayもDVDの再販も出ないんです。翻訳もあり、定期的に演劇も日本では上演をされます。元々は舞台作品でもあります。翻訳のむつかしいところは、Stoppardさんは、シェイクスピアの映像作品では表に出たり、陰に隠れたりしながら、活躍する戯曲家なんです。シェイクスピアに関してかなり造形の深い戯曲家になるからです。映画はヴェネツィア映画祭の金獅子賞を受賞しています。翻訳をするにあたっては、ハムレットはもちろんですが、かなり調べまくらないとむつかしいはずです。松岡和子氏訳が元々あったはずなんですが。新訳になっていて、定期的な演劇上演のために、映像作品のDVD化は一度はあったんですが、再販はお蔵入りになっています。そこに本物があるのに、なぜ?ということが日本の演劇事情にあるのかどうかは知りませんが、おかげで日本のVersionとしては観ることができません。アメリカでは普及版もあって広く観られていますよ。最近はStoppardさんの戯曲作品として勉強するべき課題にもなっているそうです。映画はね、本当に素晴らしい出来です。シェイクスピアを読んでいると楽しさが数倍跳ね上がりますよ。
 
																								 
																								